□10月20日(水)


義とする務めは栄光に満ちあふれる


コリント人への手紙第二3:7-18(9)

日毎の糧

 パウロは、新しい契約に仕える務めがどれほど栄光ある役目であるかを話しています。古い契約には律法を教える役目があり、その役目にも素晴らしい栄光がありました。モーセは、神様と対面して律法を受け取りましたが、その時、モーセの顔は輝きを放ちました(出エジ34:29・30)。この輝きは、いずれは消え去るものではありましたが、務めを行う者の栄光を示して下さいました。ところがこの務めは、人を罪に定める務めでした。律法に基づき人を罪に定め、結局は死に至らせる務めです。反対に、新しい契約の役目は、人に永遠のいのちを得させ、生かす務めです。ですから、新しい契約の務めは、他のどんなものよりも栄光ある務めです。パウロは「罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます」と話します。

 モーセが輝く顔に覆いを掛けたのは、イスラエルの子らが、消え去る栄光に注目しないようにするためでした。モーセは、民たちが自分の栄光に注目するよりも、律法をよく守り、神様の祝福を受けることを望みました。しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。覆いが彼らの心を覆い、御言葉の真の意味を悟りません。しかし、それはキリストによって取り除かれました。イエス様を受け入れるなら、霊的無知と高慢と自己義の覆いが取り除かれます。契約の制度と儀式から抜け出して、霊的な世界を明らかに見ることが出来ます。これは聖霊の御業です。聖霊の御業はいのちの御業、罪と死と律法から自由になる御業です。主の御霊がおられるところには自由があります。聖霊の御業に仕える人はもっと栄光を帯びたものとなります。この役目を行う者はモーセのように覆う必要がありません。なぜなら、主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行くからです。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。



適用:新しい契約の働き手になったことを栄光と考えていますか

一言:もっと大きい栄光

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧