□12月5日(主日)


使徒としてのしるし


コリント人への手紙第二12:11-21(12)

日毎の糧

 パウロは、「私は愚かな者となってしまいました」(11)と嘆きます。コリントの聖徒たちが無理に彼をそうさせたのです。パウロは、取るに足りない者であっても、偽使徒たちに少しも劣るところはないと言います。12節では「私は忍耐を尽くして、…しるしと不思議と力あるわざによってです」とあります。これはパウロの使徒としての正当性を示すものです。旧約の神の預言者たちは、しるしと不思議と力あるわざによって、その人に神がともにおられることを示したように、使徒たちもそれらを行うことで、その権威を示したのです。

コリント教会はパウロの手によって開拓された教会です。でもパウロは、そのコリントの聖徒たちに負担をかけないように、自ら働きながら福音を宣べ伝えました。今回で三度目となる訪問を準備しましたが、これまで通り聖徒たちには負担をかけたくないというのが、彼の考えでした。パウロが彼らに求めたのは、物質の支援ではなく、聖徒たち自身でした。パウロは親が子を愛するように、彼らのたましいのためには、自分が蓄えた財を大いに喜んで費やし、自分自身をも使い尽そうとしたのです。それにもかかわらず、人々(偽使徒ら)からは、パウロは悪賢くて、彼らからだまし取ったという、根も葉もない中傷を受けていたようです(16)。それに対して、パウロは自分と自分が遣わしたテトスも、人からだまし取ったことはないと訴えます。このように訴えたのは、自己弁護のためではなく、神の御前で、彼らが成長するためでした。パウロは再びコリント教会を訪問する時に、互いに期待が外れ、「争い、ねたみ、憤り、党派心、悪口、陰口、高ぶり、混乱が」起こらないようにと願っています(20)。パウロは、罪を犯しながら悔い改めない人たちに対しては断固として戦う姿勢を示しています。父親が子を懲らしめるのは、自分自身を痛めつけるように辛いものですが、実は教会と聖徒の聖さはそのようにして保たれるのです。



適用:何が使徒のしるしでしょうか

一言:羊のために自分を犠牲にすること

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧