聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 05月 09日 (木)

列王記第二20:1-11(5)
あなたの涙も見た

 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていました。そこへ、預言者イザヤが来て「主はあなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」と言われました。非常に絶望的な状況でした。しかし、ヒゼキヤは諦めず顔を壁に向けて主に切に祈りました。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私がまことを尽くし、まったき心を持って、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」彼は、死という人生のがけっぷちで、ただ神様にのみ頼り、懸命に祈りました。ヒゼキヤの祈りに対する神様の反応はどうでしたか。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。(5)」神様は、ヒゼキヤの叫ぶ祈りを聞かれただけでなく、切なさがこもった涙をもご覧になったのです。
 人は他人の傷や苦悩にあまり関心がありません。関心があったとしても、助けることが出来ない時があるでしょう。しかし、神様は私たちの傷にも涙にも大きな関心を持って哀れんでくださいます。私たちがひそかに涙ながら祈るのも、すべて見て聞いておられます。神様はヒゼキヤの病気をいやしてくださり、その上、彼の寿命にもう十五年を加えてくださると約束されました。彼の個人的な命だけでなく、エルサレム城もアッシリヤの王の手から守ってくださると約束されました。ヒゼキヤがしるしを求めると、主は、日時計におりた日時計の影を十度あとに戻されるしるしを見せてくださいました。神様は、時間をあとに戻すことまでして、奇跡を施されたのです。
 「義人の祈りは働くと、大きな力があります(ヤコブ5:16)」。人間的にどうしても不可能に見えることでも、神様に頼って切に祈れば、神様が不思議な方法で問題を解決してくださるのです。


適用:望みが断たれた瞬間どうしますか

一言:涙の祈り



2019年 05月 10日 (金)

列王記第二20:12-21(17)
何一つ残されまい

 ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたバビロンの王は、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けました。これは当時、近東の覇者であるアッシリヤに対して、反対の政策を取っていたヒゼキヤを味方につけようとするバビロンの下心があってのことでした。もしヒゼキヤが霊的に目を覚ましていたなら、バビロンの思惑に気づき警戒したことでしょう。けれども、ヒゼキヤは強大国の使節団が自分を訪問してくれたことに感激して、分別する力を失ってしまいました。彼は興奮したあまり、国の宝物倉にある貴重品と武器庫まで、全部を見せました。彼は自分の病気を癒してくださった神様を積極的に証しするべきでした。ところが、神様ついては一言も言わず、ひたすら自分の宮の華麗さだけを自慢しました。彼は高慢になって神様の栄光を遮りました。これは、神様を悲しませることであり、憤らせることでした。それで、神様はヒゼキヤの自慢のものを一つ残らずバビロンへ運び去るようにすると言われました。また、ヒゼキヤの自慢の息子たちのうち、バビロンの王の宮殿で宦官となる者があろうと言われました。神様は、人間の自慢のものを、むしろ羞恥のものになるようにされます。ヒゼキヤは自分の健康問題をもって神様にすがって祈ったように、国の安全のためにもいつも目を覚まして祈るべきでした。けれども、彼は自分に好意を示してくれたバビロンを味方だと思い、頼ろうとしました。しかし、味方だと思ったバビロンが手のひらを返して敵になるのです。
 私たちが頼るべき対象は、神様のみです。私たちが自慢すべき方も、神様だけです。ヒゼキヤは神様の裁きの警告を聞いても泣いたり、悔い改めたりもせず、自分が生きている間は平和で安全ではないかと思い、主の言葉はありがたいという気持ちだけで終わりました。子孫の未来を考えないといけないのに、そうでなかったヒゼキヤの姿がもどかしいかぎりです。


適用:神様の代わりに自分を自慢しますか

一言:辱めを受けるようになる


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