聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2012]

2012年 07月 20日 (金)

創世記1:1-5
天と地を創造された神様

Ⅰ.天と地を創造された神様(1)
 「初めに」とは時間が始まる時、すなわち永遠の時です。その時、神様は天と地を創造されました。神様が天と地を創造されたことによって、時間が始まり、宇宙と万物が存在するようになりました。世にあるものは偶然に、あるいは自然発生によってできたのではなく、神様の御心によって創造されました。それで、全て存在するものには神様の計画があり、秩序と目的があります。多くの人々は、「この世は偶然、存在するようになり、自分も、進化して行く中で、猿から人間になった。」と考えています。このような人々は、人生の無価値と運命の枠から抜け出すことができません。しかし、実際に人は、それほどまでに無価値で運命的な存在ではありません。神様は目的を持って人を造られました。私がこの地に存在するようになったのには、必然的な計画があり、また価値があります。それで人生を軽々しく思ってはいけません。私をこの地に存在するようにしてくださった神様の御旨を探して、恐れ敬う心で生きなければなりません。
Ⅱ.光を造られた神様(2-5)
 初めに造られた地は形がなく、何もなく、やみが大いなる水の上にありました。その時、神様は「光よ。あれ。」と言われました。この光はやみを照らします。また、全ての生命体にエネルギーを供給します。神様が創造された生命体と万物が存在できる基礎を、造られました。

祈り:主よ!主が宇宙万物を創造されたことによって、全てのものに対して、神様が計画された尊い存在価値と必然的な目的があることを信じます。

一言:運命はない



2012年 07月 21日 (土)

創世記1:6-25
御言葉で造られた神様

Ⅰ.御言葉の権威
 本文には、「神様は仰せられた」という御言葉がくり返されて出て来ます(1:3,6,9,11,14,20,24)。それと同時に、「するとそのようになった」と言う御言葉も出て来ます。神様が「大空よ。水の間にあれ。」と仰せられると大空ができ、「水は一所に集まれ。かわいた地が現れよ。」と仰せられると、その通りになりました。全ての創造の御業は、神様が仰せられると、その通りに成し遂げられました。神様は、全てのものを、御言葉によって造られました。神様はその御言葉によって、太陽と月を造られ、鳥と魚と獣をその種類に従って造られました。神様は御言葉によって、無から有を造り出されました。神様の御言葉には、創造の力と変える力があります。神様は、今日でも、創造の御業、変化の御業を成し遂げておられます。放蕩息子アグスティンを聖アグスティンに変えられたのも神様の御言葉であり、残忍な奴隷船長のジョーン・ニュートンを愛が豊かな福音の伝道者として新しく造られたのも神様の御言葉です。神様の御言葉に従う人は神様の助けによって新しく造られ、力ある業を行なうことができます。
Ⅱ.創造の目的
 神様が、その日ごとに創造の御業を成し遂げられるたびに、この御言葉が必ず出て来ます。「神は見て、それをよしとされた。」この御言葉は、創造の目的が神様を喜ばせるためであることを、教えてくれます。被造物の存在目的は、神様を喜ばせ、その栄光を現わすことです。

祈り:主よ!主の御言葉は、必ずその通りに成し遂げられることを信じます。私が不信仰を悔い改め、心から御言葉を受け入れます。

一言:神様の御言葉には、権威がある



2012年 07月 22日 (日)

創世記1:26-31
人を造られた神様

Ⅰ.神様のかたちに造られたもの(26,27)
 人は、神様と交わりを持つことのできる霊的な存在であり、考えて判断できる理性的な存在であり、高尚な生活を夢見る道徳的な存在です。これは、神様のかたちに似せて造られたからです。
Ⅱ.使命を持つもの(28-30)
 神様は人に「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。」という使命を与えられました。人には、自然の万物をよく管理しなければならない使命があります。人には食べて生きようとすることのほかに、与えられた使命があることで、獣とは違って価値ある人生を生きることができます。
Ⅲ.神様から非常に喜ばれる存在(31)
 神様は人を造られた後、非常に喜ばれました。私は、神様がご覧になる時、非常に喜ばれる存在として造られました。自分の容姿が人より劣っているから、また、自分の人間条件が人より劣っているからといって、悲しんだり、劣等感に陥る人がいます。人が不幸なのは、人と比べて自分を見ようとし、相対的な優越感で自分の存在価値を見つけ出そうとするからです。しかし本当の自分の姿は、人と比べて見つけ出すことができません。私たちを造られた神様の前にだけ、本当の自分の姿を発見でき、そこにだけ、絶対的な価値を見つけることができます。そしてその時にだけ、本当の喜びと平安を得ることができます。

祈り:主よ!主が非常に喜ばれるほど、それほどまでに自分が尊い存在であることに感謝し、感激します。私が人と比べて勝っているからと言って舞い上がったり、少し劣っているからといって悲しんだりしません。

一言:私を造られ、非常に喜ばれる神様


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