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2019年 12月 09日 (月)

創世記 17:1-27(4)
多くの国民の父となる

 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現われ、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」と仰せられました。これを見ると、アブラムが八十六歳でイシュマエルを得て以降の十三年間、全能なる神様に対する信仰を失い、神ではなく人の前で生き、安逸な日々を送っていたことが分かります。アブラムは神様と結んだ契約をすっかり忘れ、イシュマエルで満足し、小市民的な生活を送っていました。神様は十三年ぶりにアブラムを訪ねて来られ、彼の不信仰と安逸を攻められました。そして、彼が主と結んだ契約を思い出すように、「あなたは多くの国民の父となる」と仰せられました。さらに、名前をアブラムから「アブラハム」に変えてくださり、契約のしるしとして割礼を行うようにされました。「割礼」は「神様との契約を肉の上にしるす」という意味を持っています。世の風習のままに生き、神の約束よりも自分の理性と努力によって生きようとする罪を心から取り除くという悔い改めの意味をも持っています(申10:16、コロサイ2:11)。
 アブラムの名前を変えてくださった神様は、妻サライの名前も「サラ」に変えてくださいました。「サラ」とは「国々の母」という意味です。夫が神様の望みに従って生きようとする時、妻も同じ方向を持たなければなりません。アブラハムは、神様との契約を心に刻んだしるしとして、自分だけでなく、彼の家の男たちもいっしょに割礼を受けるようにさせました。私たちに向けられている神様の望みは、私たちが自己中心的で小市民的な人生ではなく、多くの国民の父、祝福の源としての人生を歩むことです。


適用:どんな望みをもって生きるべきでしょうか

一言:多くの国民の父となる


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