聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2020]

2020年 01月 19日 (日)

創世記 26:1-15(2)
わたしがあなたに示す地に住みなさい

 イサクが住んでいた地に、アブラハムの時代のようなききんがありました。イサクはエジプトに下って行こうとしました。ところが、彼がゲラルに行ってペリシテ王のもとに行ったとき、主が現れました。主はイサクにエジプトに下らず、ご自分が示す地に住むようにという方向をくださいました。もし彼が聞き従い、その地に滞在するなら、主は彼とともにいて、彼に祝福を与えると言われました。イサクは神様の方向に従い、それ以上エジプトに下らず、その地に住みました。彼は恐怖のためにゲラルの地で嘘をつく愚かなことをしてしまいましたが、根本的には主に従順な人だったので、神様は彼の妻を守ってくださいました。また、彼がその地で農業を始めたときには百倍もの収穫を得るように助けられました。これは驚くべき収穫でした。主が祝福してくださるので、彼はますます栄えて、最終的には非常に裕福になりました。あまりにも豊かになったので、ペリシテ人が妬んで彼の井戸を土で埋めるほどでした。
 パレスチナは約束の地ですが、大きな川がなく雨と露に依存しているため、ききんがあると、生活が不安定になります。一方、エジプトはナイル川があるのため、ききんの心配はなく、安心して住める場所です。しかし、エジプトは、イサクが、純粋な、聖なる信仰を失ってしまう、霊的に危険な場所でした。神様はこれを知っておられ、イサクがエジプトに行かない方向をくださいました。困難な状況でも、信仰によって生きることを学べるようにその地を離れることなく、とどまるようにされました。約束の地にもききんはあります。しかし、このききんは、私たちの信仰が錬られて神様の祝福を受けるきっかけになります。神様が祝福してくだされば、何も出て来そうにない土地でも百倍の収穫を得ることができます。


適用:ききんの時、どこに住みますか

一言:示す地に



2020年 01月 20日 (月)

創世記26:16-33(22)
ほかの井戸を掘った

 イサクが強盛になるとペリシテ人王アビメレクは彼を妬み、自分たちの領土からイサクを追い出そうとしました。ゲラルの谷間に天幕を張ったイサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘り、湧き水の出る井戸を見つけ、人々と家畜とを食べさせました。ところが、ペリシテ人であるゲラルの羊飼いたちが再び来て、その井戸は自分たちの土地にあるから、自分たちのものだと言って争いました。彼らは二回も、そのような方法でイサクが新しく掘った井戸を奪いました。その度に、イサクは譲って、そこから移って行き、ほかの井戸を掘って水を得ました。そこでは、ゲラルの羊飼いたちは争ってきませんでした。そこは、とても広い所でした。イサクは主が自分たちを広い所に導いて下さったことに感謝し、これから繁栄していくことを確信して言いました。イサクがベエル・シェバに上って行ったその夜に、主は彼に現れて仰せられました。主は彼と共にし、祝福し、子孫を増し加えることを約束しました。イサクはそこで祭壇を築き、主の御名によって祈りました。
 その頃、アビメレクはイサクに和親条約を申し出ました。自分達がイサクを憎んで、追い出したにもかかわらず、イサクが益々強くなっていくのを見たからです。不信者であるアビメレクは、主がイサクと共におられることをはっきりと見たのです。イサクは一言責めた後、彼らの申し出を受け入れ、宴会を催し、彼らは飲んだり食べたりして、契約を結んで送り出しました。イサクとイサクの僕たちは信仰があったから、命の源のような井戸を譲りながら新しく挑戦ができました。井戸を譲って、またほかの井戸を掘れた理由は信仰の故でした。祝福が神様にあることを信じられない時、井戸一つのために争うしかありません。しかし、イサクは祝福の源である主を信じたので、井戸一つに縛られることなく、新しい挑戦が出来ました。それで、神様は彼に驚くべき大きな祝福を与えて下さいました。


適用:一つの井戸だけにすがっていますか

一言:譲歩と挑戦



2020年 01月 21日 (火)

創世記26:34-27:29(27)
イサクより祝福されたヤコブ

 エサウは、イサクの祝福を受け継ぐことの出来る内面性を持っていませんでした(25:34、26:34-35)。このようなエサウに長子の権利の祝福を譲ることは、神様の御旨ではありませんでした(25:23)。それでも、イサクがエサウに祝福を譲ろうとしたのは、伝統と自分の好みに基づいて考えたからでした。彼はエサウが作った美味しい料理を食べてから、彼を祝福しようとしました。これを聞いたリベカは、ヤコブをエサウのように変装させ、イサクがお好きな料理を作って、ヤコブの手に持たせ、イサクの前に行くようにさせました。イサクはヤコブをエサウだと思い込み、心から祝福しました。結局、ヤコブは神様の全ての祝福を受けました。しかし、この過程でヤコブは嘘をつきました。イサクが霊的に分別する力が疎くなった時、リベカは、神様の御旨の通りに祝福が受け継がれるようにと心を尽くしました。リベカがこのようにした理由は、二人の子供が胎内にいた時「兄が弟に仕える。」と神様が仰せられたからです(25:23)。
 エサウは霊的な事柄に対して無関心で、神さまを求める心がありませんでしたが、ヤコブはアブラハムに与えられた契約を継承する人になりたがっていました。それで、どうしても、その祝福を父イサクから得たいと熱望しました。リベカの分別力とヤコブの霊的な望みは学ぶ点です。只、彼らが完全に神様を信じたなら、嘘をつかなくても、神様がその御旨を成し遂げたことでしょう。


適用:どんな人が神様の祝福を受けますか

一言:慕い求める者


<<(1)    前のページ(4)    5    次のページ(6)    (27)>>

聖書別日ごとの糧