聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2020]

2020年 01月 22日 (水)

創世記27:30-46(38)
声をあげて泣いたエサウ

 イサクがヤコブを祝福し終わらないうちに、エサウが帰って来ました。彼はおいしい料理をこしらえて、父の所に持って来て、自分を祝福して下さるように話しました。ビックリしたイサクは、ヤコブが自分を騙し、全ての祝福を受け取ってしまったことを言いました。エサウは大声で泣き叫び、自分にも与えてほしいと懇願しました。イサクは、ヤコブが兄の主となり、全ての物質的な祝福も持つようになると、はっきり言いました。エサウはイサクに「お父さん、祝福は一つしかないのですか。」と泣いて訴えました。しかし、イサクは、余分な祝福はないと言い、エサウの未来に対して話しました。肥える地はなく、上から天の露もない、乾いた地で住み、剣によって生き、弟に仕えることになるというものでした。エサウは自分の祝福を奪ったヤコブを恨んで殺そうとしました。これを知ったリベカは、ヤコブを兄ラバンの所に逃げさせました。兄の憤りが収まるまで、暫らくそこに留まるようにさせました。兄の所に行かせたのは、ヤコブの結婚とも関係があります。リベカは、エサウがヘテ人の娘たちを娶ったせいで、生きているのが嫌になり、喜びも失ってしまう状態でした。
 エサウは、自分の祝福を失った理由はごまかしたヤコブのせいだと言いました。しかし、彼が祝福を奪われた根本的な理由は、彼自身が神様の祝福を軽蔑し、俗悪に生きていたからです。彼は豆の煮物の一皿で、長子の権利を売り、父母を悩ませるヘテ人の娘たちを娶りました。彼は、祝福を受けられるような生き方をしていませんでした。私が神様の祝福を失うのは、誰のせいでもありません。一瞬の運がないからでもありません。普段の自分の生き方と内面性と価値観の結果なのです。私たちは平素、神様が喜ばれる生き方をするように努めなければなりません。そうするならば、決定的な瞬間に、神様の祝福を受けられます。


適用:俗悪な者の結末はどうなりますか

一言:声をあげて泣いた


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