聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2012]

2012年 03月 06日 (火)

出エジプト21:1-11
主人と奴隷に対する定め

 その当時、ヘブル人が奴隷になるのは、借金を返せなかった時(レビ25:39)と盗んだ物を弁償する能力がなかった時でした(22:3)。ところが、一度奴隷になると、死ぬまで奴隷として生きなければなりませんでした。主人は何とかして奴隷の労働力を利用しようとしていたため、彼らの人権と幸福には関心がありませんでした。奴隷は家畜のように扱われていました。これは当時、自然の慣習でした。
 ところが神様は、ヘブル人の奴隷を買った時、その人は六年間、仕え、七年目には自由の身として無償で去らせよ、と言われました。結婚するために買って来た女奴隷がその人を受け入れない時は、代価を払って自由の身にしなければなりません。女奴隷を息子の与えるなら娘のように考え、自分が他の人と結婚することがあっても、買って来た女奴隷に衣食住を提供するように、言われました。このような神様の定めは、当時の社会では革命的なことでした。神様は、全ての人々が根本的には自由人として生きるように、されました。人々が幸福を求めて生きるように、他の人々の人権を尊重するように、されました。
 私たちは、奴隷ではなくても、私たちに雇われた人や負債を負った人、弱い立場にいる人々の人権を尊重しなければなりません。彼らも幸福を求める権利があることを認め、人として尊重しなければなりません。人を縛りつける貧困や制度、罪からも自由にして上げなければなりません。これが神様の御心です。

祈り:主よ!人間の自由を尊重される主の愛に感謝します。私が主の御心で、他の人の人権と幸福を求める者になるように、助けてください。

一言:自由人として造られた神様



2012年 03月 07日 (水)

出エジプト21:12-27
殺人と暴力についての定め

Ⅰ.人を死なせた人に対して(12-17)
 「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。」と言われました。自分の両親を打つ者、人をさらった者、両親を呪った者も、必ず殺されなければならない、と言われました。神様がこのように人の命を尊く思われるのは、人が神様の形を持った尊い存在であるからです(創9:6)。それでどんな場合にも、人を殺してはいけません。殺人は憎しみと妬みから来ます。それでイエス様は、兄弟に対して怒ったり、悪口を言って憎むことも、「人を殺すことである」と言われました(マタ5:22)。アグスチヌスは、「自殺も殺人である」と言いました。今日は、人の命を軽視する悪い時代です。お金は神のように崇拝しますが、人の命は虫けらのように考えます。これは、サタンの影響の下にあるからです(ヨハ8:44)。このような時代に、私たちは生命尊重思想を持ち、福音伝道を通して、命を生かすのに、力を入れなければなりません。
Ⅱ.暴力をふるう者に対して(18-27)
 人を殺傷した場合、必ず補償をし、治療しなければなりません。奴隷にけがを負わせた主人も、罰としてその奴隷を自由の身にしてあげなければなりません(26,27)。人に傷を負わせた場合、目には目、歯には歯、手には手、足には足、打ち傷には打ち傷で報いなければなりません(24,25)。この御言葉は報復を奨励するものではありません。むしろ感情に流されて、被害を受けた以上に報復することで、起きる暴力の悪循環を防止するのに、その目的があります。

祈り:主よ!私が心で兄弟を憎み、害したことが多くあったことを悔い改めます。今からは命を生かす福音の御業に献身します。

一言:生命尊重


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