聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2021]

2021年 08月 22日 (日)

レビ記6:8-23(9)
祭壇の火をそこで燃え続けさせる

 神様は5種類のささげ物「全焼」、「穀物」、「交わり」、「罪のきよめ」、「代償」について語られます。それぞれのささげ物を献げる際、どうするべきかを神様は教えられます。全焼のささげ物の時には、祭司は祭壇の火を燃え続けさせるよう注意しなければなりません。これは神様がいつも民を見守っておられることの象徴であるためです。また、私たちはいつも罪の赦しの恵みを受けなければならないためでもあります。みことばと祈りにより聖霊の火が燃え続けている共同体は生きています。祭司は聖霊を消すことなく、むしろ聖霊に満たされているべきです。神様との交わりが断ち切れないようにするのです。それから祭壇の灰を宿営の外のきよい所に運び出します。これは、私たちの罪が去り、きよめられたことを意味します。この時、祭司は別の装束に着替え、祭司の装束を汚さないようにします。私たちが神様のみ前に出てゆくにも、罪で汚れていてはだめなのです。罪が神様との交わりを妨げるからです。

 民たちが持ってくる穀物のささげ物は、神様に燃やしてささげ、その後で祭司は食べることができます。しかし、祭司が日に二度神様にささげる穀物のささげ物はすべて完全に焼き尽くすべきであり、食べてはいけません。これは、自分のいのちを完全に燃やしてささげる献身を意味しているからです。与えられた物を食べる時、パン種を入れて焼いてはいけません。これは世俗的な要素が入らないようにするためです。神様はきよく、聖なる生き方を望んでおられます。民とは違い、祭司は委任を受けた日から、常に日に二度、ささげものをします。これは彼らが献身的で、聖なる姿勢をもって神様に仕えなければならないことを意味しています。



適用:神様との交わりに火が燃えていますか

一言:燃え続けさせましょう



2021年 08月 23日 (月)

レビ記6:24-7:10(25)
罪のきよめと代償のささげ物のおしえ

 罪のきよめのささげ物は最も聖なるものでなければなりません。ささげ物は定められた場所で屠られ、残ったものは最も聖なるところで食べることになっています。血が服や器についたなら、必ず聖なるところで洗います。ささげ物を煮た土の器は砕かなければなりません。青銅の器で煮たのであれば、その器は磨き、水ですすぎます。族長や平民が献げるささげ物の中で、雄山羊、雌山羊、羊などの油を除いた部分は、会見の天幕の庭で、祭司は食べることができます。しかし、祭司と会衆がささげた罪のきよめのささげ物のうち、雄牛は完全に燃やし尽くして、絶対に食べることが出来ません。なぜなら、祭司と会衆の罪が族長と民たちの罪よりも重いためです。罪のきよめのためには、ささげ物も聖なるものとし、それを献げる祭司もきよくないといけません。イスラエルの民が、罪と徹底して区別された聖なる民となる事を神様は望んでおられます。私たちの罪を赦すために、聖なる神の子イエス様のからだが罪のきよめのささげ物として献げられ、きよめの血を流されました(ヘブル9:14)。私たちは主の血の恵みを記憶し、感謝し、聖なる歩みに力を注ぎましょう。

 代償のささげ物を献げる際に、祭司はその血を祭壇の側面に振りかけ、内臓、腎臓と小葉はすべて献げ、残った部分は聖なるところで食べなければいけません。全焼のささげ物を献げる場合、献げた全焼のささげ物の皮はその祭司のものとなります。しかし、穀物のささげ物の場合は、ひとつかみの小麦粉を除いたあとのものは祭司の分け前となります。穀物のささげ物は天幕で仕える祭司たちで等しく分けることが出来ます。すべてのささげ物は主の御前で聖なるものとなるため、ささげ方や祭司の分け前さえも主の聖さを傷つけないようにと定められました。私たちがささげる礼拝と人生も、主の御前で聖別され、聖なるものとなるようにしてゆきましょう。



適用:神様にどんな姿勢で仕えていますか

一言:最も聖なるものとして


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