聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2021]

2021年 10月 01日 (金)

レビ記 7:11-21(15)
感謝のための交わりのいけにえの肉はその日に

 主に献げられる交わりのいけにえは、感謝のいけにえ、又は誓願のささげ物として進んで献げるものでした。交わりのいけにえとは、神様と和解することで、神様と交わり、隣人同士で愛し合い、平和を図る側面がありました。だから、神様に献げるいけにえの中で、交わりのいけにえだけは、種入りのパンを献げることができました。そしてその交わりのいけにえは、主に献げられた後、家族、友人、近所の人が食べられるように分けることができました。主との交わりには喜びと感謝が必要なのです。私たちが義務的な信仰生活をすることを、主は願っておられません。神様は私たちが主の御恵みに感謝し、互いに祝い、その喜びを隣人と分かち合うことを願っておられます。私たちの礼拝は、主の御恵みに感謝して、ともに喜び、楽しく献げるお祭りのようになるべきです。神様が願っておられるのは、私たちが主の御恵みの中で喜ぶ霊的な交わりのいけにえを献げることです。イエス様もこの世に来られ、最初にカナでの婚礼に参加されました(ヨハネ2章)。信仰生活はイエス様とともに交わり、ともに喜ぶべき霊的な婚礼です。

 交わりのいけにえの肉は、その日に食べるべきです。朝まで少しでも残しておいてはなりません。交わりのいけにえを献げたその日、自分と和解したいすべての人を呼んで一緒に食べ、その人たちと和解をすべきです。和解を先送りしてはいけません。主に献げられた交わりのいけにえからの肉は喜びの食べ物ですが、その身に汚れがあるのにも関わらず、食べてしまうなら、その人は自分の民から断ち切られます。これがこの世のお祭りと異なる点です。霊的な祭りは聖なる範囲を脱してはいけません。私たちの礼拝と信仰生活の中に、汚れが入ってこないように注意しなければなりません。



適用:和解を先送りしていませんか

一言:その日に食べなければならない



2021年 10月 02日 (土)

レビ記 7:22-38(30,32)
奉献物と奉納物

 神様はいけにえの油を食べてはならないと命じられました。主に献げられた動物の脂肪は、主のものとして聖別されたものだからです。私たちは最も大切な部分を主に献げることで、神様に感謝を献げるべきです。血は食べてはなりません。なぜなら、血にはいのちがあるからです。特に、すべてのいけにえの血は、これから来られる神の小羊イエス・キリストの血を象徴していて、いっさい食べてはならないと厳しく命じられました。神様は、交わりのいけにえの脂肪を胸肉と一緒に持って行くように命じられました。胸肉は肉の中でもっとも美味しい部分です。これを神様の御前に奉献物として持って行って、そこで揺り動かします。奉献物は、私たちの心を献げ、主に仕えますという恐れ敬う心と愛の表現です。交わりのいけにえのうちから右のもも肉を、祭司に与えなければなりません。右のもも肉は力を象徴し、それが奉納物となります。これは忠誠と献身を表します。全身全霊で主に仕えることの表れです。主に仕え、もっとも良いものを献げるとき、主は喜ばれ、受け取ってくださいます。私たちの心と情熱を献げ、主に仕えるとき、主は喜ばれます。その主は私たちに最も良いもので満たしてくださいます(マタイ6:33)。

 いけにえとして献げられた胸肉と右のもも肉は、主にいけにえを献げる祭司たちの分け前として与えられました。神様だけを相続地とし仕えている主のしもべたち(民数18:20)の生活を、主が責任をとってくださいます。神様は、5つのささげものについての説明を締めくくります。ささげものを通しての贖いは、新約時代で、イエス様の十字架の血潮によって完成されました(ヘブル9:23-28)。私たちは私たちの罪を贖ってくださるために十字架の上で血を流してくださったイエス様の御恵みを覚え、感謝し、主に忠実に仕えるべきです。



適用:最も大切なものを主に献げていますか

一言:主に良いものを献げる


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