聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2021]

2021年 10月 04日 (月)

レビ記 9:1-24(22,23)
主の栄光が民全体に現れ

 七日間の祭司職の任命式が終わりました。八日目、イスラエル史上初めてとなる、罪のきよめのささげ物が主の前に献げられました。アロンとその子らが祭司の務めを公に遂行するようになった最初の日です。彼らは、罪のきよめのいけにえ、全焼のささげ物、交わりのいけにえの順で献げ、宥めを行わなければなりません。しかしその前に、自分のための罪のきよめのささげ物と、全焼のいけにえのための子牛を屠らなければなりません。これは祭司のとりなしが不完全で、限界があることを示しています。祭司には民たちのためにいけにえを献げる前に、まず自分のためのいけにえが必要です。このことは、罪のないイエス様がご自分を献げられたこととは対照的です。

 彼らは主の命じられたとおりに、自分のためのいけにえを献げ、その次に民のためのいけにえを献げました。そして、アロンは民に向かって両手をあげ、民たちを祝福し、罪のきよめのささげ物、全焼のささげ物、交わりのいけにえを献げました。それを終えると、壇から降りて来ました。会見の天幕に戻り、そこから出て来て、民を祝福すると、主の栄光が民全体に現れ、火が主の前から出て来て、祭壇の上の全焼のささげ物と脂肪を焼き尽くしました。これらは、主の命じられたとおりに献げられたことを、主が喜ばれたことを意味します。また、主と民との関係が回復されたことが示されました。

 祭司によるいけにえの犠牲がなければ、神様の栄光は、私たちの中に現れません。イエス様は私たちの永遠の祭司であるだけでなく、犠牲のいけにえにもなられました。どんな人であっても、イエス様の御名によって神様の御前に出て行くなら、神様の栄光が現れます。



適用:主の栄光を見たいですか

一言:犠牲のいけにえであるイエス様を信じなさい


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