2009年 08月 29日 (土)
過越のいけにえをささげよ
Ⅰ.シナイの荒野での過越の祭(1-5)
イスラエルが出エジプトしてから一年が過ぎました。出エジプトの感激と興奮も今はすっかり冷めてしまいました。その時モーセに命じて、過越の祭を守るようにしました。それは出エジプト後の最初の過越の祭でした。モーセと民たちは出エジプトの感激を新たにしました。
過越の祭はイスラエルがエジプトの奴隷としてうめいた時、神様が大きな力と愛で救ってくださったことを記念する日です。この日には子羊の肉と種を入れないパンと苦菜を食べて、神様の救いの恵みを新たにします。神様の力と愛を賛美します。
イスラエルはシナイの荒野で、すべてのおきてと定めに従って過越のいけにえをささげました。彼らは荒涼とした荒野で救いと栄光の神様を新しく受け入れ喜びました。将来に対する望みとビジョンが新しくなりました。荒野での苦難も小さなことのように思えました。
Ⅱ.汚した物も過越のいけにえをささげなければならない(6-14)
人の死体によって身を汚して、過越のいけにえをささげることができなかった人々がいました。神様は彼らの嘆願を受け入れてくださり、過越のいけにえをささげるように命じられました。神様は、死んだ者の神様ではなく、生きた者の神様です。神様は死んだ者に捕われません(ルカ9:59,60)。それで生きている者が死んだ者に捕われて、現在と未来の神様の御業に仕えないことは、正しくないのです。
祈り:主よ!私たちが主の救いの恵みをいつも覚え、感謝の心で守るように助けてください。
一言:救いの恵みを覚えよ
2009年 08月 30日 (日)
主の命令によって
イスラエルはシナイの荒野で霊的な準備を終えた後、約束の地に進んで行きます。彼らの前には険しい荒野と乱暴な異民族がいます。民たちは恐れました。どの道を行けばいいのか分かりません。このような彼らを神様はどのように導いてくださったのでしょうか。
第一に、主の雲
幕屋を立てた日に雲が幕屋を覆いました。その雲は主の雲であり、主のご臨在を意味しました。その雲が上がると、すぐそのあとで、イスラエル人は旅立ちました。その雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していました。主なる神様が自ら導き手になられました。神様が民たちを前に行くようにされ、とどまるようにもされました。神様は、民たちの責任を担われました。神様は将来のことを知っておられ、全ての道をみな知っておられます。神様はイスラエルのことを完全に知っておられます。神様が完璧に彼らを導くことがおできになるのです。
第二に、イスラエルの従順
イスラエルの民は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営しました。神様がどのように導かれても、その通りに聞き従いました。「行け」と言えば行き、「止まれ」と言えば止まりました。彼らは自分の判断では行なわず、急がず慌てませんでした。ただ主の命令に従いました。それでイスラエルは絶対従順と耐えて待つことを学びました。神様の民としての内面性が形成されて行きました。自分勝手な行動がなくなりました。
祈り:主よ!主が導き手になられるので、主の命令によって進んで行き、またとどまります。神様の子どもとして育ててください。
一言:主の命令によって
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