聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2014]

2014年 05月 28日 (水)

民数記11:1-15
私には重すぎます

1.不平を鳴らして主につぶやく民たち(1-9)
 イスラエル人はひどく不平を鳴らして主につぶやきました。神様は火で宿営の端をなめ尽くして、彼らに警告されました。しかし、民たちは、神様の警告にも関わらず、「ああ、肉が食べたい。誰が私たちに肉を食べさせてくれるのか」と言って、エジプトで食べた肉、魚、にら、にんにくを思い浮かべていました。今まで、神様がマナを食べさせてくださいましたが、彼らは「何もなくて、このマナを見るだけだ」と不満でした。神様は全てのものをくださいましたが、彼らの不満は終わりがありませんでした。
2.私には重すぎます(10-15)
 モーセは、全てのイスラエル人が不平を鳴らし、泣くのを聞きました。彼は、民を任された牧者として、自分の責任がどれだけ大きいのを、よく知っていました。しかし、苦難を受ければ、不平を鳴らす民を担うことは、彼一人の力ではどうすることもできませんでした。彼らの不満を、一つ一つ解決する力もありませんでした。事実、この民を産んだのも、育てるのも神様でした。それで、彼はこのような状況の中で、積極的に神様を仰ぎ見なければなりませんでした。彼が神様を仰ぎ見ずに、不平不満をもらす民たちと無能な自分自身を仰ぎ見る時、彼は責任感に押しつぶされ、「私には重すぎます」と嘆息するしかありませんでした。また、「いっそうのこと、私を殺してください」と話すほど、絶望しました。牧者の荷は、決して一人では担うことができません。産んで育てられる神様に、この重荷をゆだねなければなりません。

祈り:主よ!私が一人では、牧者の荷を担えないことを告白します。産んで育てられる方が、神様であることを信じ、この荷を神様にゆだねます。

一言:牧者の荷は、一人で担うことができない



2014年 05月 29日 (木)

民数記11:16-23
主の手は短いのだろうか

1.あなたはただひとりで負うことがないようになる(16,17)
 モーセは一人で重荷を負い、疲れて倒れました。神様は、このようなモーセのために、七十人の長老たちを立てるように、と知恵をくださいました。また、モーセに降りた神の霊が彼らにも注がれる、と約束されました。神様はモーセに仰せられました。「それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたはただひとりで負うことがないようになろう。」(17)。神様は、モーセの嘆きの祈りに答えられ、彼に知恵を与え、彼を助けてくださいました。
2.主の手は短いのだろうか(18-23)
 神様は、ご自分につぶやいて泣く民のために、モーセに言われました。「あす、肉を与える。」一日や二日ではなく、鼻から出て来て、吐きけを催すほど、一か月の間、食べさせると約束されました。このようにすることで、神様をあなどる罪がどれだけ大きいものであるのかを、悟らせようとされました。しかし、モーセは、「民は徒歩の男子だけで六十万なのに、どのようにして肉を与え、食べさせるのですか」と疑いました。神様は、このようなモーセに、「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる」と言われ、彼の不信仰を咎めました。歳月が過ぎたからと言って、神様の御手が短くなったのではありません。神様は、昨日も、今日も、変わることなく全能なる方です。神様の手は、変わることなく、強いものです。今日でも神様は、エジプトから導き出されたその力ある御手で、私たちのうちに、驚くべきことを成しておられます。

祈り:主よ!私が不信仰を悔い改め、いつまでも、その力が変わることのない神様を信じて、働きます。

一言:主の手は短いのだろうか



2014年 05月 30日 (金)

民数記11:24-35
主の民がみな、預言者となればよいのに

1.主の民がみな、預言者となればよいのに(24-30)
 神様は、七十人の長老たちに、モーセと同じ神の霊の賜物を注いてくださいました。エルダデとメダデは宿営に残っていましたが、宿営の中で預言しました。すると、ヨシュアがこれをやめさせようとしました。しかし、モーセは言いました。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」(29)。私たちは、自分だけが高くなり、栄光を受けようとします。また、他の人に注がれた御霊の賜物やその人を通して働かれる神様の恵みある御業に対して、ねたんだりもします。しかし、モーセは、民がみな預言者になることを願いました。彼が、自分の欲を捨てた時、彼は、全ての民を預言者として立てようとする成熟した預言者になりました。
2.貪欲の墓(31-35)
 神様は、約束通りに、風を吹かせ、うずらを運んで来られました。どれだけ多くのうずらが飛んで来たのでしょうか。宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約二キュビト(約一メートル)の高さになりました。その時、民たちは、神様の全能なる御業の前で、自分たちの貪欲を悔い改めなければなりませんでした。しかし、彼らはその翌日まで、一日中うずらを集め、宿営の回りに、それを広げていました。神様は、自分たちの貪欲だけを満たすことに執着する彼らに、大きなわざわいを下し打たれました。結局、貪欲を抱いた者たちは、「貪欲の墓」に葬られました。貪欲がはらんで、死を産みました(ヤコ1:15)。

祈り:主よ!私が、自分だけを現わそうとする貪欲を悔い改めて、他の人々を立てる者になるように、祈ります。

一言:全ての欲を退けなさい(ルカ12:15)


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