聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2016]

2016年 04月 24日 (日)

民数記3:1-51
レビ人はわたしのものである

Ⅰ.レビ人をアロンに与えなさい(1-13)
 大祭司アロンには、四人の子どもがいましたが、二人の子どもはシナイの荒野で神様の御怒りを買って死に、残った二人だけが祭司の職についていました。神様は、彼らにレビ人たちを与え、幕屋で共に働くようにされました(9)。神様が特別にレビ人を取られたのは、エジプトの地で最初に生まれた初子が死んだ日に、イスラエルの初子はみな生かされたからです。それで、レビ人は神様のものであり、当然、神様に仕える事に忠実でなければなりませんでした(13)。私たちも、犯した罪によって、当然さばかれるべき存在でした。ところが、一方的な恵みによって罪が赦され、今まで生きています。それで、私たちが力を尽くして主に仕える事は、当然のことです。
Ⅱ.レビ人を数えよ(14-51)
 神様はモーセに、レビ人の中で、一か月以上になる男子を数えよ、と仰せられました。モーセがその数を数えて見ると、その数は二万二千人でした(39)。また、イスラエル人の中で、最初に生まれた者の数も数えよと仰せられ、数えて見ると、その数は二万二千二百七十三人でした。神様は、「生まれた男子の数がレビ人の数より二百七十三人多い」と言われ、「ひとり当たり五シェケル取って、その代金をレビ人に渡しなさい。」と仰せられました(46)。
 神様が最初に生まれた者の数を数え、初子の贖いの代金を払うように仰せられた理由は何でしょうか。それは、初子のわざわいから救われたことが、どれだけ大きな恵みであるのかを具体的に、思い起こさせるためでした。

祈り:主よ!私は、さばかれて当然の罪人でした。私が救いの恵みを具体的に覚え、主に忠実に仕えます。

一言:レビ人は、わたしのもの


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