聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2016]

2016年 04月 29日 (金)

民数記9:1-14
過越しのいけにえをささげよ

Ⅰ.過越しのいけにえをささげよ(1-5)
 エジプトの国を出て第二年目の第一月に、主はモーセに告げて仰せられました。「イスラエル人は、この月の十四日の夕暮れに、過越しのいけにえをささげなければならない。」イスラエル人はその通りに行ない、シナイの荒野で過越しのいけにえをささげました。それで、イスラエル人はエジプトを出て、初めて過越しのいけにえをささげるようになりました。
Ⅱ.汚れた者のための過越し(6-14)
 過越しのいけにえをささげたくても、さまざまな理由でそれができない人たちがいました。彼らは、人の死体によって身を汚した人と、旅行中だったので、ささげることができない人でした。神様は、その人たちも過越しのいけにえをささげることができるように、「第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。」とモーセに告げて仰せられました。また、外国人であっても、過越しのいけにえをささげることを願うなら、ささげるように、と言われました。しかし、特別な理由もなしに、過越しのいけにえをささげなかった者は、民の中から断たれる、と警告されました(13)。
 神様が、必ず過越しのいけにえをささげなさい、と命じられた理由は、何でしょうか。それは、救いの恵みを忘れないようにするため、でした。ある人は反問します。「人は未来を仰ぎ見て生きるべきなのに、なぜ、いつも過去のことに捕らわれなければならないのか。」と。しかし、救いの恵みを覚えることは、過去のことに縛られることではなくて、その恵みに基づいて、さらに熱心に神様に仕えるようにするためです。救われた恵みをすれない人は、どんな状況の中でも、熱く神様を愛することができます。

祈り:主よ!過越しのいけにえをささげることで、救いの恵みを覚えるようにしてくださり、感謝します。私は、この恵みを担います。

一言:過越しのいけにえをささげなさい



2016年 04月 30日 (土)

民数記9:15-23
雲に従って行動したイスラエル

 幕屋を立てた日に、雲があかしの天幕である幕屋をおおい、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝までありました。このような現象が続き、昼には雲が幕屋をおおい、夜には火のように見えました。雲が天幕を離れて上ると、イスラエル人はいつも旅立ち、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営しました。ある時は、雲が何日もたたないうちに、すぐに移動することもあれば、また、ある時は、長い間、雲が幕屋の上にとどまることもありました。その時ごとに、イスラエル人も、その通りに行動をしました。彼らは、雲の動きが主の戒めであることを認識し、その導きに従って、一歩一歩進んで行きました。
 イスラエル人が雲の動きによって行動することは、決して容易なことではありません。幕屋を立ててから、すぐに動けば、「ああ、損した」と思うこともあり、幕屋を立ててから長い間動かなければ、「ああ、つまらない、疲れた」と思うこともあります。しかし、イスラエル人は、神様の導きが最善の道であることを確信して、その通りに行動しました。
 雲に従って、一歩一歩進み出るイスラエル人のように、私たちも、神様の導きに従って歩まなければなりません。時には、神様が私たちを導かれるのが、あまりにも遅く感じら得ることもあり、時には、早すぎると感じられることもあります。しかし、私たちは、神様の導きが最善の道であることを認め、謙遜に従わなければなりません。主なる神様に、謙遜に頼む人は、神様が責任を持って、最も良い道に導いてくださいます(箴3:6)。

祈り:主よ!私の人生の道を、雲の柱によって、繊細に導いてくださり感謝します。私は、確信を持って、この道に従って生きます。

一言:雲によって導かれる神様


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