聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2016]

2016年 09月 09日 (金)

民数記6:1-21
自分の体を聖別して捧げようとするなら

ナジル人は、誓願した期間を満たすと、全焼のいけにえ、贖罪のためのいけにえ、和解のいけにえを捧げました。これは献身の期間中知らずに犯した罪を赦して頂き、残りの生涯を全きものとして神様に捧げようとする決断の表現でした。ナジル人は神様から啓示のみことばを受けて民達に伝えるべき者です。彼らは神様の御言葉の通路にならなければなりません。ですから、彼らの霊は清らかできれいでなければなりません。また、自分を神様に完全に奉げようと決断したものとして、自己主張があってはなりません。全き謙遜と献身の姿勢で自分を神様に奉げるために励むべきです。
適応:区別された生活に励んでいますか?
一言:ぶどう酒とお酒を遠ざけ



2016年 09月 10日 (土)

民数記6:22-27
祝福しなさい。彼らを祝福しよう

祭司長は、主が御顔を照らし恵まれますようにと、切に祈ってくれます。主が御顔を隠されることは御怒りとさばきを意味します。しかし、神様はご自分の民達に愛と慈しみの御顔で近づき、豊かな恵みを施して下さいます。また、神様は私達の保護者ですから、私たちの内面は平安に満ち溢れるようになります。神様の御名によって祝福することは、神様の選ばれた民としての印を押すことと同じです。私達が罪の故に呪われるしかないこの世の中で、神様の祝福を受け、また祝福を祈ってあげる人生を生きるようになったことは、言い尽くせないほど大きな祝福です。
適応:兄弟を祝福しますか?
一言:主があなたを祝福して下さることを願って!


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