聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2016]

2016年 09月 13日 (火)

民数記9:1-14
過越しのいけにえをささげよ

Ⅰ.過越しのいけにえをささげよ(1-5)
エジプトの国を出て第二年目の第一月に、主はモーセに告げて仰せられました。「イスラエル人は、この月の十四日の夕暮れに、過越しのいけにえをささげなければならない。」イスラエル人はその通りに行ない、シナイの荒野で過越しのいけにえをささげました。それで、イスラエル人はエジプトを出て、初めて過越しのいけにえをささげるようになりました。
Ⅱ.汚れた者のための過越し(6-14)
過越しのいけにえをささげたくても、さまざまな理由でそれが出来ない人たちがいました。人の死体によって身を汚した人や、旅行中だった人です。神様は、その人たちも過越しのいけにえをささげることができるように、「第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない」とモーセに告げて仰せられました。また、外国人であっても、過越しのいけにえをささげることを願うなら、ささげるように、と言われました。しかし、特別な理由もなしに、過越しのいけにえをささげなかった者は、民から断ち切らなければならないと警告されました(13)。神様が、必ず過越しのいけにえをささげなさい、と命じられた理由は何でしょうか。それは、救いの恵みを忘れないようにするためでした。ある人は反問します。「人は未来を見て生きるべきなのに、なぜ、いつも過去のことに捉われていなければならないのか」と。しかし、救いの恵みを覚えることは、過去に縛られることではなく、むしろ、その恵みに基づいて、さらに熱心に神様に仕えられるようにするためです。救われた恵みを忘れない人は、どんな状況の中でも、熱く神様を愛することができます。

適用:救いの恵みを覚えていますか?

一言:過越しのいけにえをささげなさい



2016年 09月 14日 (水)

民数記9:15-23
雲に従って行動したイスラエル

イスラエル人が雲の動きによって行動することは、決して容易なことではありません。幕屋を立ててから、すぐに動けば、「ああ、損した」と思うこともあり、幕屋を立ててから長い間動かなければ、「ああ、つまらない、疲れた」と思うこともあります。しかし、イスラエル人は、神様の導きが最善の道であることを確信して、その通りに行動しました。
雲に従って、一歩一歩進み出るイスラエル人のように、私たちも、神様の導きに従って歩まなければなりません。時には、神様が私たちを導かれるのが、あまりにも遅く感じられることもあり、時には、早すぎると感じられることもあります。しかし、私たちは、神様の導きが最善の道であることを認め、謙遜に従わなければなりません。主なる神様に、謙遜に頼む人は、神様が責任を持って、最も良い道に導いてくださいます(箴3:6)。

適用:神様の導きが最善の道であることを確信していますか?

一言:雲によって導かれる神様


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