聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2017]

2017年 01月 04日 (水)

民数記23:1-30 (8)
神がのろわない者を私がどうしてのろえようか

  
  バラクは、敵を呪うためにバラムを連れて来ましたが、バラムはむしろ敵を祝福しました。その理由は、まず、イスラエルがひとり離れて住む区別された民族であり、おのれを諸国の民の一つと認めない、特別な民だからです。二つ目の理由は、主の祝福と御恵みによって、大きく栄えるべき民だからです。バラクは、イスラエルの群れが数多いのを見て、バラムは彼らを祝福したのだと思いました。そこで、民の一部しか見えないピスガの頂に連れて行きました。しかし、バラムはそこでも再びイスラエルを祝福しました。主は、人間のように偽りを言うことがありません。主は人の子ではなく、悔いることがありません。主は言われたこと、約束されたことを必ず成し遂げられます。バラムは、主が祝福せよという命を受けたので、それをくつがえすことはできないと言っています。イスラエルをエジプトから連れ出した主は、イスラエルにとっては、野牛の角のようです。だから、イスラエルのうちにまじないや占いはありません。、彼らは雌獅子のように起き、雄獅子のように立ち上がって獲物を食らうのです。イスラエルを打つことは、、自らを破滅に追い込むことなのです。
  私たちの主は、ご自身の選んだ民を祝福してくださいます。主が祝福された者を、だれがのろうことができるでしょうか。たとい、人がのろっても、そののろいは無駄です。主が祝福された者をのろうとしたら、そののろいは誰に返って来るのでしょうか。私たちがこの主を信じて生きるように祈ります。祝福される主を信じる信仰によって、勝利の人生を生きるように祈ります。
  
  
  
  
  

適用:主がくださった祝福を奪われるのではないかと恐れていますか。

一言:主の祝福は決して奪われません


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