聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2017]

2017年 01月 06日 (金)

民数記25:1-18 (11)
わたしのねたみを自分のねたみとしたことで

  
  イスラエルの民は、シティムにとどまっていた時、モアブの娘たちと、みだらなことをし始めました。モアブの娘たちは、自分たちの神であるバアルのところにイスラエルの民を招いたので、イスラエルの民はその娘たちと食し、その神々を拝みました。これは、祭司の国であり聖なる民であるイスラエルが、決して陥ってはいけない罪でした。こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになり、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がって、彼らを殺すように命じられました。主は、偶像崇拝とみだらなことをもっとも忌み嫌われます。主は、彼らを神罰で打たれました。しかし、主の神罰にも関わらず、ひとりのイスラエル人が、ミデヤン人の女を連れて来ました。罪の勢力がどれほどしつこいものなのかがわかります。その時、祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、それを見るや、手に槍を取り、そのイスラエル人のあとを追ってテントの奥の部屋に入り、イスラエル人とその女のふたりともを、腹を刺し通して殺しました。すると、イスラエル人への神罰は、やみました。
  ピネハスが、主のねたみを自分のねたみとしたことで、主の憤りによって、イスラエル人が絶ち滅ぼされることを避けることができました。主のねたみは、主の愛を裏切り、霊的な偶像崇拝を犯すことに対する主の憤りです。ピネハスはこの主の憤りをもって、みだらな罪と戦い、それによって、イスラエルを絶ち滅びの危機から救うことができました。主の憤りから救われるためには、罪の勢力と徹底的に戦わなければなりません。罪を忌み嫌う聖なる憤りと主を愛する情熱を持たなければなりません。その時、私たちはサタンの誘惑から、自分自身と私たちの集まりを守ることができます。サタンは、今もなお誘惑の矢を射て、若者たちの心を誘惑し、蝕んでいます。私たちは、サタンの心臓を刺し通すピネハスの槍を手に取りましょう。このことで、ピネハスの子孫たちは、代々、祭司長の職につくことになりました。私たちがこの時代、罪の勢力と積極的に戦い、祭司長として役目を果たすことができるように祈ります。

適用:聖なる憤りはありますか。

一言:主のねたみ


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