聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2022]

2022年 01月 11日 (火)

民数記 6:1-21(2,3)
身を聖別して主に献げるためには

本文はナジル人が守るべき律法について語っています。ナジル人とは、「ナザール」に由来した言葉で「聖別する」「献げる」という意味を持っています。6章では「身を聖別して」という言葉が12回出てきます。ナジル人は、自分の身を聖別して、神様に献げます。イスラエルの民そのものが「祭司の王国、聖なる国民」として聖別された民です(出エジプト19:6)。その中でも、ナジル人は、特に自分の身を聖別して神様に献げると決断した人たちです。ナジル人は聖別の期間中にお酒を断たなければなりません。ぶどう汁も、ぶどうの実も、その種も皮も食べてはなりません。これは誘惑を受けないためです。頭にかみそりを当ててはなりません。これは外見を飾ることに心を奪われないようにしなさいという意味です。死人のところに入って行ってはならないというのは、死が罪や汚れの象徴であり、神の内には死が無く、いのちしかないからです。それらに近づかずに、身と心をいのちの神である主に献げなさいという意味です。

ナジル人は聖別期間が終わると全焼のささげ物、罪のきよめのささげ物、まじわりのいけにえ、穀物のささげ物を神様に献げます。これは献身期間に気づかないうちに犯した罪を赦していただいて、残りの人生を完全に神様に献げようとする決断の表現です。ナジル人は、神様から啓示の御言葉を受けて民に伝えなければならない人たちです。民が彼らを通して神さまを知るように、御言葉でつなげるトンネルのような役割があります。したがって、彼らの霊は清らかであるべきです。また、自分自身を完全に神様に献げると決断した者たちなので、自分の主張を通さず、全き謙遜と献身の姿勢で、自分自身を神様に献げることに励むべきです。



適用:聖別された人生を生きようとしますか

一言:ぶどう酒や強い酒を断たなければ



2022年 01月 12日 (水)

民数記 6:22-27(27)
祝福しなさい 彼らを祝福する

神様はアロンとその子ら、すなわち祭司たちを通してイスラエルを祝福することを願われました。祭司は神様と民との間の仲介者として祝祷権を委任されました。祭司は神様が民を祝福してくださるように祈ります。祭司の祝祷のゆえに、選ばれた民が神様の祝福を豊かに受けて充実した生活を送るようになります。この世は寂しく絶望的です。人々は疲れてくたびれた人生を送っています。私たちが兄弟姉妹たちのために祈る時、神様が天の窓を開き、天の祝福で満たしてくださいます。また、祭司は、神様がその民を守ってくださるように祈ります。世の中にはどれだけ多くの患難と危険が潜んでいるでしょうか。人間の知恵と能力では、このすべての困難を避けることはできません。祭司の祝祷を介して、神様はご自分の民を保護し、義の道に導かれます。

祭司は、主がその御顔を照らし、恵みを施してくださるように祈ります。神様が御顔を隠されるとは、怒りと裁きを意味します。しかし、神様はご自分の民に愛と慈しみの御顔で近づかれ、豊かな恵みを施してくださいます。また、神様が私たちの保護者になられるので、私たちの内面は、平安で満たされます。神様の御名によって祝福されることは、神様の選ばれた民としての印を受けることと同じです。私たちが、罪によって呪われるしかないこの世の中で、神様の祝福を受け、祝福された生活を送ることは、言葉では言い尽くせないほど大きな祝福です。



適用:兄弟を祝福しますか

一言:主があなたを祝福されますように


<<(1)    前のページ(5)    6    次のページ(7)    (21)>>

聖書別日ごとの糧