聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2022]

2022年 01月 18日 (火)

民数記 11:1-15(4)
欲望にかられて泣いたイスラエルの子ら

民が繰り返し不平を言うので、神様が怒り、主の火を下して、宿営の端をなめ尽くしました。モーセが祈ると、ようやく怒りの火が消えました。ところが、民の中に混じって来ていた人々が欲望にかられ、その影響を受けたイスラエルの民は子供のように泣いて肉を欲しがりました。そしてエジプトに住んでいたときの生活を美化し、今は何も与えられていないかのように不平不満を漏らしました。神様がくださったマナを感謝の目で見れば、いくらでも神様を賛美することができました。イスラエルの民が恨みで泣くことは、神様も、モーセも喜びませんでした。モーセは、感謝しないイスラエルの民を続けて担うのがあまりにも辛く感じ、神様に嘆き訴えました。自分が負っている荷があまりにも重くて負えない、死にたいとさえ言いました。

欲望にかられるとき、神様への感謝が消え、何事にも不平不満を言い、他の人にひどく迷惑をかけます。神様が彼らを荒野で生活させ、毎日マナを食べさせたのは、彼らを聖なる民として訓練し、将来祭司の王国として大切に用いるためでした。神様の深くて高いみこころを知らないイスラエルの民は、今すぐおいしく豊かなものをなぜくれないのだ、と文句を言って恨みました。彼らは幼稚な子どものように、肉体的な満足によってすべてを評価しました。



適用:神様を恨みますか

一言:欲望の代わりに感謝



2022年 01月 19日 (水)

民数記11:16-23(23)
この主の手が短いというのか

神様は、モーセが神様の前に出てきて訴えたことに対し、答えてくださいました。モーセも、イスラエルの民のように辛い状況にありましたが、それを神様の前に吐き出した点が異なります。この時、神様はモーセが一人で苦労しながら耐えてきたリーダーとしての重荷を、70人の指導者を立てて分けるようにされました。また、民がおいしい肉を欲しがったことにも答えてくださいました。神様は、彼らが食べたくてたまらないと言っている肉を、一日二日ではなく、なんと一ヶ月間、飽きるまで食べさせると約束されました。しかし、これは神様の善なる導きに感謝せず、不満と恨みを持ち続けるイスラエルの民に対する神様の懲らしめであり、裁きでした。モーセは、自分の訴えと求めに対して答えてくださる主に感謝したことでしょう。彼は、70人の同労者たちを送ってくださるという主の言葉は素直に受け入れましたが、男子だけで60万人もいるイスラエルの民を、一ヶ月間、飽きるまで肉を与えると言われたことについては受け入れることができませんでした。どんなに計算しても、実現不可能な御言葉にしか思えませんでした。彼は「羊の群れ、牛の群れが屠られても、海の魚が全部集められても、彼らに十分でしょうか。」と疑問を呈しました。

神様は、このようなモーセに、「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる」と言われ、彼の不信仰を咎めました。歳月が過ぎたからと言って、神様の御手が短くなったのではありません。神様は、昨日も、今日も、変わることなく全能なる方です。神様の手は、変わることなく、強いものです。今日も神様は、エジプトから導き出されたその力ある御手で、私たちのうちに、驚くべきことを成しておられます。



適用:状況によって神様の能力を疑いますか

一言:主の御手は短くありません



2022年 01月 20日 (木)

民数記 11:24-35(33,34)
欲望を打たれた神様

モーセが出て行って、神様の御言葉を民に伝えました。そして、70人の長老を集めて天幕の周りに立たせました。このとき、主が降臨し、モーセに臨んだ霊が70人の長老たちにも臨みました。彼らは聖霊を受けた証拠として預言をしました。2人の長老たちが、天幕へ出ていかずに宿営に留まっていましたが、神様の霊が臨んで、彼らも預言をしました。この事実をある若者がモーセに報告しました。すると、モーセに仕えていたヨシュアは、彼らが預言することをやめさせるべきではないかとモーセに提案しました。ヨシュアは多くの人が聖霊を受け、預言者の役割をするようになると、霊的な秩序が崩れるか、モーセと自分の権威が失墜してしまうと思っていたようです。彼は他の人が高められることを妬みました。モーセは、このような狭い心を持ったヨシュアを戒め、自分はイスラエルの民がすべて預言者になることを望んでいると言いました。

神様は風を吹かせ、海からうずらを運び、陣営に落としました。地面から1メートルほどの高さまで、うずらがいっぱい積もりました。このとき、イスラエルの民は、あれほど望んでいた肉が与えられたことに感謝するのが当然でした。しかし、彼らが感謝する代わりにしたことは何ですか。彼らは空から落ちたうずらを拾うことだけに没頭しました。終日終夜、また次の日も終日出ていって、うずらを集めることに血眼になりました。彼らは肉の欲と貪欲の奴隷となりました。このようなイスラエルの民に対して、神様は怒りを燃やして、激しい疫病で打たれました。欲望にかられて死んだ民が埋められた場所は、キブロテ・ハ・タアワと呼ばれました。その意味は「貪欲の墓」です。欲がはらむと、罪を産み、罪が熟すと死を産みます(ヤコ1:15)。ですから、どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなければなりません(ルカ12:15)。



適用:欲望にかられていませんか

一言:自分の貪欲に気をつけ、警戒します


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