聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2005]

2005年 11月 08日 (火)

申命記16:1-17
エジプトの国から出た日を、一生の間、覚えているためである。


Ⅰ.主に過越のいけにえをささげなさい(1-8)

 過越の祭は、神様が430年間奴隷生活をしていた悲惨な生活から救い出してくださった日を記念する祭りです。これを記念するために過越の後七日間はその日のように種を入れないパンを食べるように命じられました。これはイスラエルの民が一生の間いつもエジプトから救い出された日を覚え、神様の救いの恵みの中で生きるようにされるからです(3)。私たちの主も、過越の晩餐の時にパンとぶどう酒を分け与え、これを記念するように命じられました(ルカ22:19)。

 一生の間、救いの恵みを覚え、生きることは難しいことですが、大変重要なことです。私が過去どれだけみじめな罪人であったのか、そんな私に主が恵みを施してくださったことを思い起こすことで、さらに深い主の恵みの世界に入って行くことができます。私たちはいつもイエス様に出会う前の私たちの生活がどうであったのかを考え、主を通して受けた救いの恵みを覚え、さらに深い霊的な世界に入って行かなければなりません。

Ⅱ.七週間の祭と仮庵の祭をしなければならない(9-17)

 七週間の祭は収穫祭(出23:16)、五旬節(使2:1)とも言われますが、収穫感謝祭です。この時は神様に感謝のささげ物を携え、みなしごを顧みて、共に喜ぶように言われます(11)。

 また仮庵の祭は荒野生活の中で守ってくださった神様の恵みを記念する日です。この祭の時には七日間家を離れ、仮庵にとどまり、神様との契約を新たにします。


祈り:主よ!何の役にも立たない罪人の私を救ってくださった恵みに感謝し、賛美をささげます。生涯この恵みを忘れずに生きるよう助けてください。

一言:一生の間、覚えていなければならない主の恵み



2005年 11月 09日 (水)

申命記16:18-17:13
ただ正義を追い求めなければならない


 さばきつかさは正義によって民をさばかなければなりません。絶対にさばきを曲げてはいけません。そのためには人のうわべを見ず、わいろを取ってはなりません(16:19)。わいろは人の目をくらませ、正しい人の言い分をゆがめます。神様の民はただ正義を追い求めなければなりません。

 民の中で神様との契約を破り、偶像を拝んでいるという知らせがあれば、詳しく事実を調べた後、広場に連れ出し、石で打ち殺さなければなりません(17:4,5)。しかし二人か三人の証人がなければならず、証人が一人の時には殺してはなりません。さばきつかさは罪を慎重に扱わなければならず、罪のない人の血を流すことがないようにしなければなりません。また互いに争って殴って血を流した場合には、二人の主張がかみ合わず判決を出すことが難しいです。このような場合には神様に仕える祭司とさばきつかさのもとに行って尋ね、右にも左にもそれないようにしなければなりません。

 正しくさばこうとするなら、金銭的な利益を求めず、慎重に裁判をするために多くの労苦をしなければなりません。それで人々は正義に従うことよりは実利に従おうとします。しかし正義を行なわなければ、いつかはその代価を支払うようになるのです。むしろ正義を行なえば、いのちを得るようになり、地も受けるようになります(17:20)。今日、人々は正直者は馬鹿を見ると考えます。しかしクリスチャンは損をしても、正義を行なわなければなりません。正義を行なう者は結局は神様の祝福を受けるようになります。


祈り:主よ!実利に目がくらんだ罪人を赦してください。どんな苦難があっても正義に従う者となるようにしてください。

一言:正義を追い求めなさい


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