聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2005]

2005年 11月 11日 (金)

申命記19:1-14
逃れの町の戒め


Ⅰ.過失による殺人(1-10)

 神様はイスラエルが住む地を三つに分けて、そこの距離を測定し、三つの町を取り分けるように命じられました(3)。これは望まずして、その隣人を殺してしまった者がここに逃れて命を守るようにするためでした。たとえばある人が木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んでしまった場合です。そのような人は血の復讐をする人を避けて、町にのがれることができます。神様は罪のない者の血が流されることを願われないからです(10)。

 過って罪を犯した時、それによって殺されてしまうことは口惜しいことです。神様は過って罪を犯した者を赦し、保護してくださいました。過ちを犯した者に対して、私たちは罰したり復讐をしてしまいがちです。しかし主が私を赦してくださったように、相手を赦さなければなりません。

Ⅱ.故意的な殺人(11-14)

 しかしもし人が隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかり、彼を打って死なせ、この町に逃れるようなことがあれば、その町の長老たちは殺人者をそこから引き出し、血の復讐をする者の手に渡さなければなりません。そうして罪のない者の血を流した罪をイスラエルから除き去らなければなりません(13)。神様は故意的な殺人を保護してはくださいません。故意的な罪は必ず罰を受けます。私たちは故意に罪を犯してはいけないのです。


祈り:主よ!私の過ちを理解して赦してくださることを感謝します。過失を犯した時、自虐するのではなく、逃れの町である主に出て行きます。

一言:私たちの逃れの町イエス・キリスト



2005年 11月 12日 (土)

申命記19:15-21
目には目


Ⅰ.ひとりの証人によっては立証されない(15)

 人がどんな悪を行なっても、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されません。二人または三人の証人の証言によって、立証されなければなりません。集まりの中で、ある人がもう一人を非難し判断した時、その人の言葉だけを聞いてはいけません。多くの人の言葉を聞いて、慎重に判断することによって、初めて立証されるのです。

Ⅱ.偽りの証人を罰しなさい(16-21)

 ある人は、妬みによって人を陥れようと、不正な証言をすることがあります。その時さばきつかさは慎重に調べ、偽りの証言を見破らなければなりません。そして偽りの証人が相手に行なおうとたくらんだ通りに、彼に行なわなければなりません(19)。すなわち相手の命を害そうとすればいのちを、目には目、歯には歯、手には手、足には足で行なわなければなりません(21)。そうすれば人を害そうとしたのと同じだけの害を自分が受けるようになることを全ての人が知り、これによって悪を取り除き、防止することができます。

 「いのちにはいのち、目には目」という言葉は報復の教理を教えるものではありません。これはいのちの大切さを教える御言葉です。人々は他人を害することがどれだけ苦痛を与えることなのかを知らず、むやみに人を非難したり、暴力をふるいます。他人を害すれば、自分もそれだけ苦痛を受けることを知らなければなりません。そのような時、人の苦痛を自分の苦痛として思うようになります。


祈り:主よ!私は他人の苦痛を全く考えず兄弟を苦しめました。他人を苦しめれば、自分もそれだけ苦しむことを知りました。他人を苦しめない人になるようにしてください。

一言:目には目


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