聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2020]

2020年 09月 25日 (金)

申命記12:1-28(13,14)
主が選ばれるその場所で全焼のささげ物を献げなさい 

 カナンは主がただ恵みによって所有させて下さった地です。だからこそそこに入るとイスラエルは生きるすべての日々に主の掟と定めを守り行わなければなりません。イスラエルは十戒の中の最初の戒めに従って、偶像崇拝していたすべての祭壇を打ち壊さなければなりません。また偶像を切り倒し、それらの名を消し去ってからただ神、主だけを礼拝しなければなりません。主だけ礼拝しますが、主がご自分の住まいとして御名を置くために彼らの全部族のうちから選ばれた場所を尋ねてそこに行き、そこでだけいけにえを献げなければなりません。なぜ必ず主が選ばれるその場所だけでいけにえを献げるべきですか。カナンは偶像天地だったからどこででもいけにえを献げることになると偶像崇拝の罪に汚染される可能性があったからでした。偶像は人間が作り出した存在ですが、主である神様は生きておられ私たちを創造され救って下さった方です。ですから自分の方法に主を合わせようとすることはいけません。そして主が定められた方法に自分を合わせなければなりません。特別に選ばれた場所で区別された方法で礼拝をささげる時主が栄光を受け取りになります。旧約時代にただ一つの場所にご自分の御名を置かれた神様は新約時代には受肉されたイエス・キリストにご自分の御名を置かれました。ですから今日神様を完全に礼拝するためにはただひとりイエス・キリストに出て行かなければなりません。イエス・キリストでない他の対象に行くと混合主義信仰に転落して神様が受け取られない礼拝となってしまいます。私たちはただひとりイエス・キリストに出て行って、イエス・キリストの御言葉のとおりに礼拝をささげることによって主である神様に対する純粋な信仰を守るべきです。主は肉を食べる時、血は決して食べないように命じられました。命を貴ばれるからです。旧約時代、贖罪の手段であった動物の血はイエス・キリストの御血のひな型です。私たちはイエス・キリストの御血を貴ばなければいけません。


適用:神様が喜ばれる礼拝をささげようとしますか

一言:イエス・キリストの中で霊とまことで



2020年 09月 26日 (土)

申命記12:29-13:18(12:30)
彼らの後を追ったり、求めたりしないようにしなさい

 イスラエルは、根絶やしにされたカナンの民族に倣うことで、罠に引っかかる可能性がありました。荒野でただ神様だけに仕えていたイスラエルがカナンの地に入ると、そこら中に広がる偶像文化に衝撃を受け、興味も持ちやすくなります。農業生活をしていたカナンの人々が豊かに暮らしていたのを見て、彼らが仕える神々に好感を持つ可能性もありました。それだけではなく、カナンの神々に仕える祭では、性的行為が行われていたことから、イスラエルの民は罪の本性を刺激されやすかったのです。
 しかし、イスラエルは絶対にカナンの神々を探求してはいけませんでした。カナンの人々は、主である神様が憎み、忌み嫌われることを行い、自分の子どもを火で焼いて彼らの神々に捧げるという恐ろしいことまでしました。私たちは主の警告を深く受け入れ、偶像の足跡を追い求めてはいけません。邪悪なことに対する誤った探求心と間違った好奇心を捨てるべきです。その代わりに、主が言われた命令を、付け加えたり減らしたりすることなく守り行わなければなりません。知人や親しい人など、周囲の人が、他の神々に仕えるよう誘惑してくるかもしれません。そんな人たちの中には、しるしと不思議を行う預言者や夢見る人々もいたりします。しかし、イスラエルは彼らの言葉に従ってはいけません。彼らを哀れまないで容赦なく殺さなければなりません。そうすることで、全てのイスラエルが恐れ、このような悪をもう二度と行わなくなります。私たちを救われた神様を裏切って、偽りの偶像に仕えることほど悪い罪はありません。尊い御血を流して私たちを贖われたイエス様から離れさせようとする罪は、断固として拒否し、ただ主である神様にのみ純粋に仕えなければなりません。


適用:悪いことに対して好奇心が生じますか

一言:善を探求し、熱心に善いことに励もう


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