聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2020]

2020年 10月 30日 (金)

申命記21:1-23(4)
子牛の首を折りなさい

 刺し殺された死体が野で発見された場合、そこから最も近い町の長老たちがその罪に対して責任を負わなければなりません。誰が殺したのかが分からくても、イスラエルの民の中の一人が殺人罪を犯したのは事実であり、長老たちには民たちを保護する責任があるからです。長老たちは、まだくびきを負って引いたことのない雌の子牛をとり、いつも水の流れている谷に連れて下り、そこで首を折って殺さなければならないのです。これは、殺人者が受けるべき刑罰がどんなものであるかを見せるためです。長老たちは首を折られた雌の子牛の上で手を洗い、イスラエルの誰もがその血を流さず、その殺人事件も見なかったことを告白しなければなりません。殺人は、いのちを創造された創造主神様の主権を蔑視する罪悪です。誰も人間のいのちをむやみに奪うことはできません。イエス様は首が折られた雌の子牛のように私達の代わりにゴルゴタの丘に上って行き、死なれました。それによって、死んで当然の私達は罪の赦しを得、神様の裁きから除外されました(へブル人への手紙9:13,14)。私達がイエス様を信じることで罪の赦しの恵みをいただき、重い罪のくびきから完全に解放されるように祈ります。
 捕虜の中から結婚相手として一人の女性を選ぶなら、その女性を自分の家に連れて行き、その髪をそり、爪を切り、彼女が自分の父と母のために、一か月の間、泣き悲しむことを許さなければなりません。たとえ捕虜であっても、その女性の人格を尊重し、彼女の悲しみや憂いを大切に取り扱わなければなりません。 ふたりの妻を持った場合、ひとりを愛し、もうひとりを嫌うこともあり得ます。しかし嫌われている女性の子が長子であるなら、必ず、その子を長子として認めなければなりません。個人的な情と欲に流されて考えるのではなく、すべてのことについて神様が立てた秩序を認め、従わなければなりません。


適用:罪には必ず刑罰が課せられることを知っていますか

一言:首が折られた雌の子牛


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