聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2020]

2020年 12月 08日 (火)

申命記31:1−29(19)
この歌をわたしの証しとするために

 モーセは百二十歳になり、もう出入りすることができなくなりました。神様はモーセに、彼がヨルダン川を渡ることはできないと言われました。それで、モーセは後継者としてヨシュアを立てました。それから、ヨシュアに「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない」と励ましました。また、イスラエルの子孫のために、このみおしえを書き記し(9、24)、定期的にこのみおしえを朗読して、彼らが聞いて学び、それを守り行うようにさせました。

神様は、イスラエルの民たちが、入って行こうとしている地の異国の神々を慕い、自分たちのうちで淫行を行い、神様を捨てて、神様が彼らと結んだ契約を破ると言われました。神様もこのようなイスラエルを捨て、彼らからご自分の顔を隠されます。彼らが焼き尽くされ、多くのわざわいと苦難が彼らに降りかかると、イスラエルの民はその日、「これらのわざわいが私たちに降りかかるのは、私たちのうちに私たちの神がおられないからではないか」と言いながらほかの神々に向かいます(18)。彼らは、悔い改めようとしないでしょう。このような無知で頑固なイスラエルのために、神様はモーセを通して、歌を書き記すようにさせました。後の日に、この歌がイスラエルの子らに対する神様の証となります。この歌が、彼ら自身が誰であるのか、そして何が間違っているのかを悟らせ、救いに導いてくれることになるでしょう。



適用:神様から離れ、逆らいの道を歩んでいませんか

一言:どうしても立ち返らせようとする神様の愛



2020年 12月 09日 (水)

申命記31:30−32:25(15)
エシュルンは、自分の救いの岩を軽んじた

神様のおしえは、若草の上の小雨のような、青草の上の夕立のようなものです。罪の下にいる人間の心は荒野のように乾いていますが、神様のおしえが、露のように滴り、魂を潤い、命を生き返らせてくれます。私たちは早朝、日ごとの糧を通して神のことばを黙想する時、露のように滴る神様の恵みと祝福を受けるようになります。心豊かになって一日一日の生活を勝利することができます。

神様は、岩のようなお方です。神様がなさったことは完全で、そのすべての道は正しく、偽りがありません。神様は正しくて、直ぐなお方です。この神様に頼るなら、私たち人間は、救いの恵みを頂くばかりでなく、どんな風雨にも倒されずに堅く立つことができます。神様が彼らの父となり、そして、彼らを造り上げて彼らを堅く立てられました。神様は、荒野の地で彼らを見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られました。鷲がひなを訓練するように、彼らを神様の民として訓練されました。そして、ついに、主の誓った地まで導き入れ、最良のものを与えてくださいました。ところが、イスラエルは肥え太り、頑丈でつややかになり、自分を造った神様を捨て、自分の救いの岩を軽んじました。忌み嫌うべき偶像崇拝を行い、神様の怒りを燃えさせました。ついに神様は、このようにねじれた真実のないイスラエルから、顔を隠されました。結局、イスラエルは神様が送られた飢饉、戦争で滅び、裁きに至るようになったのでした。

15節で、イスラエルは「エシュルン」と呼ばれています。「まっすぐ」「正しい者」という意味です。これほど不誠実なイスラエルが、なぜエシュルンと呼ばれるのでしょうか。それは、彼らは真実でなくても、彼らを贖われる主が、正しくて、直ぐなお方だからです。そんな主に贖われ、義なるものとされていることを自覚し、信仰によって主について行きましょう。



適用:あなたは肥え太り、神様の恵みを忘れていませんか

一言:真実で直ぐなお方のもとに立ち返ろう


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