聖書別日ごとの糧   >>   ヨシュア記[2017]

2017年 09月 11日 (月)

ヨシュア記 24:1-13(12)
あなたがたの剣によらず

 自分が偉いからこうなったとか、自分が苦労してこのような結果を得たと思うようになったら、その時から腐り始めます。自己満足を目的として生きる、自分の栄光を求める俗物になります。また、カナンをせっかく征服しても、自分たちの罪のために倒れる悲惨な立場になります。神様は、彼らが苦労しなかったのに、与えてくださいます。植えなかった実も食べさせてくださいます。神様の愛と主権がこれを実現したのです。したがって、常に謙遜である必要があります。私が10%程度努力して、神様が90%働かれたのではなく、神様が100%働かれたのであることをいつも認めるべきです。その時、祝福を担えることができ、続けて神様の祝福を受けることができます。

適用:自分がしたと思いますか

一言:自分がしたのではなく



2017年 09月 12日 (火)

ヨシュア記 24:14-33(15)
私と私の家とは、主に仕える

 一人の影響力は実に大きいです。私と私の家は主に仕えるというヨシュアの覚悟は、状況に応じて揺れる民の心を完全に集めて、神様にのみ向くようにさせました。このようなヨシュアが生きている間、イスラエルは主に仕えました(31)。私たちは、次の世代までは責任を負うことができませんが、自分の世代に対しては、責任を持つべきです。祝福の時に安住して自己中心的に生きやすい私達に、ヨシュアは明らかに言います。「わたしとわたしの家は主に仕える」。

適用:どんな神に仕えますか

一言:ただ主に


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