聖書別日ごとの糧   >>   士師記[2024]

2024年 01月 19日 (金)

士師記3:1-11(4)
イスラエルを試み

 神様はペリシテ人の五人の領主とカナン人、シドン人、ヒビ人たちを残すことを許されました。その理由は、彼らを通して戦いを全く知らないイスラエルの新しい世代を試み、戦いを教え、知らせるためでした。彼らを通して信仰と従順を学ぶ機会を神様が設けられたのです。この障害に挑戦し、戦うことを神様は望まれましたが、どうでしょうか。イスラエルは戦いませんでした。カナン人と妥協しました。彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘たちを彼らの息子たちに与えました。さらに、彼らの神々に仕え、主の目に悪であることを行い、主を忘れました。イスラエルに危機意識はありませんでした。自分たちの行いがどれほど信仰に悪影響を与えるかを考えず、思いのままでした。そして神様の期待に沿わないことを重ねたのです。神様は、彼らに対して御怒りを発せられ、アラム・ナハライム(メソポタミヤ)の王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されました。これは、神様の愛のむちでした。イスラエル人が主に叫び求めると、神様はカレブの甥オテニエルを救助者としてお立てになりました。オテニエルは主の手により、クシャン・リシュアタイムを抑えることができました。

 神様は、今も、私たちクリスチャンが霊的に目を覚まし、神様に仕える聖なる民として生きるようにと願われ、問題があることを許されます。その問題を霊的に捉えないと、人は戦うことを忘れ、安易な解決に走り、主を忘れます。信仰の戦いという側面を理解せず、人は神様から離れます。オテニエルは信仰を守りました。目を覚まして、問題に対して戦い、勝利したのです。神様は私たちの周辺にも問題を備えておられます。それは、妥協するためでしょうか。目を覚まして、神様に頼って、戦うためではないでしょうか。



祈り:問題を霊的にとらえることなく、神様の意図を知らず、自分の思いのままであったことを悔い改めます。主に頼り、挑戦してゆけるようにお助けください。

一言:オテニエルのように戦い、挑戦する人



2024年 01月 20日 (土)

士師記3:12-31(15)
緻密な戦略を立てたエフデ

 オテニエルが死ぬと、イスラエルはまた堕落し、主の目に悪であることを重ねて行いました。それで、主はモアブの王エグロンを強くし、イスラエルに逆らわせました。エグロンはアモン人とアマレク人を集めてイスラエルを攻め、なつめやしの町を占領しました。イスラエルは十八年支配されました。イスラエルが苦しみの中で主に叫び求めた時、主は一人の救助者エフデを起こされました。エフデは緻密に計画を立てました。彼は王が疑いを抱かないように接近しました。王の側近たちを退かせ、王と対面できる機会を作りました。彼はチャンスを逃すことなく、忍ばせた剣で王を打ちました。イスラエルを支配していたエグロンを討つことに成功した後、彼はエフライムの山地で角笛を吹きました。すると、イスラエル人が山地から彼について下って行きました。エフデは民を率いて、ヨルダン川の渡し場を攻め取って守らせました。こうしてモアブ人の逃げ場をなくし、別の援助隊を召集できないようにしました。

 エフデは、戦略を緻密に立て、狂いもなく実行に移すことで、イスラエルをモアブの支配から救い出すことが出来ました。敵を退けるためには、緻密な計画を立て、実践に移す決断力と行動力が大切です。私たちが敵の手から兄弟たちを救い出すためには、エフデのように聖霊の力を受け、緻密に、知恵を求め、戦略を立てて実行に移すことも大切なことなのです。



祈り:主よ、問題に対して感情でではなく、知恵を持って計画を立てることを主から学ぶことができるようにお助けください。

一言:主に伺い計画を立てる人


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