聖書別日ごとの糧   >>   士師記[2024]

2024年 01月 28日 (日)

士師記9:1-21(9)
木々の上にそよぐことをしない

 アビメレクは、シェケムにいたギデオンのそばめから生まれた息子です。彼はシェケムにいる母の身内の者たちのところに行き、ギデオンの息子七十人全員で治めるよりも、自分ひとりが治めたほうがいいということを提案しました。彼は王になりたい本心を隠しながら、身内の情に訴えてきたのです。彼らもマナセ部族に属する七十人が王になるより、同じエフライム部族のアビメレクが王になることを好み、彼を王にしようと銀を与えました。アビメレクはその銀で粗暴なならず者たちを雇い、父の家に行って自分の兄弟七十人を殺しました。その時、末の子ヨタムだけが隠れていたので生き残りました。シェケムの全ての住民はアビメレクを王としました。王になる素質があったにもかかわらず王にならなかったギデオンと、王になる素質がないのに王になってしまったアビメレクとでは対照的です。

 ヨタムはゲリジム山の頂上に立って、アビメレクの王即位がいかに間違ったことであり、彼を王に立てたことがいかに罪なのかを「木々のたとえ」をもってシェケムの人々に叫んで言います。木々がオリーブの木に自分たちの王になってほしいと申し入れたところ、オリーブの木は油を捨て置いて、木々の上にそよぐことはしないと断りました。いちじくの木も良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐことはしないと断りました。ぶどうの木も新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐことはしないと断りました。ところが、茨だけは王になると言いました。しかし、木々は茨から出る火に焼き尽くされます。王は自分からなりたいと思ってなれるものではありません。アビメレクを王にしたことは父の家に背くことです。イスラエルの王は神であり、これは神の権威に逆らうことです。ギデオンやその前のさばきつかさの時代でさえも、人を神の権威の上に立たせることはしませんでした。



祈り:賞賛や名声や権力の誘惑がわたしを襲い、誘惑します。ただ主がわたしを治める王であることを謙遜に認めて、心をへりくだらせてください。

一言:木々の上にそよぐことをしない



2024年 01月 29日 (月)

士師記9:22-57(56,57)
神様の報い

 アビメレクがイスラエルを支配してから三年が立ち、シェケムの人たちはアビメレクを裏切りました。彼らはアビメレクを待ち伏せし、道を通り過ぎるすべての者から略奪を繰り返し、アビメレクの統治を妨害しました。それにエベデの子ガアルも加わり、事態は悪化しました。町の長ゼブルは事の次第をアビメレクに密告しました。そこで彼は軍を率いてシェケムに向かい、待ち伏せと奇襲作戦によってこれを攻め、この町を占領してました。民を殺し、町を破壊して、そこに塩をまきました。シェケムのやぐらの住民たちは神殿の地下室に逃げ込みましたが、彼は地下室を焼き、男女一千人を殺しました。エルバアルの子ヨタムの予告通りにシェケムの人たちは滅ぼされたのです。

 アビメレクはさらにテベツの町を攻め取りましたが、町に逃げた人たちは、やぐらに逃げて立てこもりました。アビメレクはこれも焼き殺そうとした時、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕きました。イスラエル人は、アビメレクが死んだのを見て、一人ひとり自分のところに帰りました。こうして神様はシェケムの人々とアビメレクの悪を報いられました。

 士師も王も、神様が立てるものです。自分で王になろうとしたアブシャロムやアドニヤたちも悲惨な死を遂げました。いくら優れた人であっても、人が立つ事ではありません。神様が立ててくださる領域です。神様は、「神様だけが真の王である」ことをいつの時代においても示されます。神様に背く人は、しばらくは栄えても、結局のところアビメレクとシェケムのように滅びます。



祈り:自分の足で立っていると思うこの家、職場や学校。私が今の私をならせたのではなく、主が立たせて下さっている事を悟ります。主の主権を謙遜に受け入れます。

一言:主の報い


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