聖書別日ごとの糧   >>   サムエル記Ⅰ[2018]

2018年 07月 11日 (水)

サムエル記第一 31:1-13(6)
         サウルの最期

 なぜこのようなことが起きたでしょうか。ダビデは神様の心を得ましたが、サウルは、神様の心を得なかったのです。ダビデには何もありませんでしたが、神様が彼の手に渡して下さったので、いつも勝利しました(30:23)。一方、サウルには、全てのものがありましたが、神様から頂けるものが何もなかったので 、常に失敗しました。
 サウルの最後の姿は、彼の心の中心に何があったのかを示しています。 武器を持った者に自分を刺し殺してくれと頼みましたが、その理由が、割礼を受けていない者によってなぶり者にされるのがいやだったからです(4)。彼は自分の威信が墜落することばかりを気にとめ、神の尊厳は心に置かなかったのです。昔エリーが言ったように、神様を尊く思う者に対しては、神様もその人を尊く思い、ご自分を軽蔑する者のことは、神様もその人を軽蔑されるのです。神様を尊く思わなかったサウルは、どんなに頑張っても勝利することができず、自分の人生をも守ることも出来なかったのです。神様に捨てられた彼は、すべてのことに満足できない王として生き、悲惨な最期を迎えた悲運の王となってしまいました。
適用:サウルの最後を通して何を学びますか
一言:神に捨てられた者の悲劇


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