聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2013]

2013年 01月 14日 (月)

Ⅱ列4:1-17
からの器、満ち溢れる祝福

 預言者のともがらの妻の一人が、エリシャに自分の切ない心情を訴えました。彼女の夫は神様を恐れていた信仰の人でした。ところが、ある日夫が死に、貸主が彼女の二人の子どもを奴隷にしようとしていました。エリシャは、このかわいそうな女を、助けようとしました。彼女の家には、油のつぼ一つしかありませんでした。エリシャは、「隣の人みなから、器を借りて来るように」と言いました。それも、「一つ二つではなく」、多く借りて来ることを強調しました。女は二人の子どもと共に、借りて来た器に油を注ぎましたが、器が全て油で満たされました。エリシャは、「その油を売って、負債を払い、その残りで、子どもたちと暮らして行ける」と言いました。彼女は、信仰によって、からの器を多く借りて来ることで、神様の大きな祝福を受けました。私たちも、信仰によって、神様の祝福を受けるだけの、からの器を多く準備しなければなりません。小さな信仰を持ってはならず、大きな信仰によって、神様の驚くべき御業、大きな御業を望まなければなりません。私たちの口を大きく開けなければなりません。
 シュネムの女は、エリシャを「神の聖なる方」として受け入れ、食事と小さな部屋を準備して、仕えました。彼女のこのような仕えは、神様に対する愛と恐れから出て来ました。エリシャはこの女を祝福しようとしました。彼女には子どもがなく、夫も年をとっていましたが、神様の祝福によって、男の子を得る奇蹟が起こりました。神様を愛し、神様の人に、心を込めて仕える時、神様の祝福があります。

祈り:主よ!私が、神様の祝福を受ける多くの器を信仰によって準備する人になるように、助けてください。

一言:からの器に満たされる祝福



2013年 01月 15日 (火)

Ⅱ列4:18-37
死んだ子どもを生き返らせたエリシャ

 シュネムの女は、奇蹟的に子どもを得て、大変幸せでした。ところが、育っていた子どもがある日、「私の頭が、頭が。」と言いながら、死んでしまいました。愛する子どもを失った女の悲しみは、あまりにも大きなものでした。しかし、彼女はその時、神の人エリシャに訪ねて行き、助けを得ようとしました。極度の悲しみと苦しみの瞬間、彼女は神様を信じ、神様の人の所に行きました。これが祝福の道です。
 それで、エリシャは戸をしめて、一番最初に、主に祈りました。最初に彼は、死んだ者を生き返らせる神様の力を求めました。神様だけが、死んだ子どもを生き返らせることができる、と信じました。祈った後、彼は信仰によって、その子の上に身を伏せ、自分の口を子どもの口の上に、自分の目を子どもの目の上に、自分の両手を子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきました。エリシャは子どもを生かそうと、自分のすべての力と情熱を注ぎ込みました。最善を尽くしました。しかし、まだ生き返りませんでした。エリシャは「だめだった」とここで放棄しませんでした。もう一度、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開きました。死んだ子どもを生き返らせるのは、容易なことではありませんでした。エリシャは、生き返るまで、最後まで挑戦しました。私たちも、この時代、罪によって死んだ兄弟たちを生き返らせるのは容易なことではありません。私たちはまず、神様にひざまづいて、切に祈らなければなりません。力を尽くし、心を尽くさなければなりません。生き返るまで、最後まで信仰によって、挑戦しなければなりません。

祈り:主よ!私が一番最初に祈り、最善を尽くして、最後まで挑戦し、この時代の兄弟たちを生かすように、助けてください。

一言:祈り、最善、最後まで



2013年 01月 16日 (水)

Ⅱ列4:38-44
与えて食べさせなさい

 エリシャが再び、ギルガルに帰って来た時、この地にききんがありました。煮物を作りましたが、預言者のともがらの一人が野生のつる草を見つけ、そのつるから野生のうりを取って来て、煮物のかまの中にそれを切り込みました。それには致命的な毒性があり、危険でした。群衆は煮物を口にすると、叫びました。「神の人よ。かまの中に毒がはいっています。」彼らは、ききんの時に、苦労して作った煮物さえも食べることができないと、心がなえました。エリシャは麦粉を持って来させてから、かまの中に入れました。するとかまの中の毒がなくなり、群衆は煮物が食べることができるようになりました。
 ある人が初穂のパンである大麦のパン二十個と、一袋の新穀とを持って来たので、エリシャは、群衆に与えて食べさせなさい、と命じました。彼の召使は、「これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう。」と疑いました。しかしエリシャは答えて言いました。「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」エリシャは、たとえ少ない量であっても、主が食べさせてくださることを、信じました。それで、あるものが少なくても、百人をお腹いっぱい食べさせることができました。エリシャは、ききんの時に、食べる問題で苦しんでいる兄弟たちに対する牧者の心情がありました。また、供給者である神様に対する絶対的な信仰がありました。牧者は羊たちを食べさせる者です。神様は、私たちを、羊たちを食べさせる牧者として立ててくださいました。私たちに、牧者の心情と神様に対する信仰がなければなりません。これがあれば、ない中でも羊たちを食べさせることができます。状況と条件が問題ではありません。

祈り:主よ!私が牧者の心情と、供給者である神様に対する信仰が満ち溢れ、羊たちを食べさせるように、助けてください。

一言:信仰によって、食べさせよう


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