聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2013]

2013年 03月 01日 (金)

2列24:1-7
主の前から除かれるユダ

 エホヤキムは王になってから、エジプトに仕えました。ところが、当時、新興強大国のバビロンがユダに攻めて来ました。エホヤキンは、三年間バビロンに仕えましたが、その後反逆しました。エジプトとバビロンのうち、エジプトを選びました。すると、カルデヤ、アラム、モアブ、アモンの軍隊がユダに攻め上りました。このできごとは、複雑な国際情勢の中で、エホヤキムが間違った選択によって起きた事件だと言えます。しかし、これは神様の御言葉が成就した出来事です。神様は、ユダを滅ぼすために、異邦人の軍隊を遣わされました。神様は、マナセの罪によって、ユダを主の前から除こうとされました。マナセが罪のない人々の血で、エルサレムを満たした罪を赦そうとされなかったのです。神様の民に降り注ぐ不幸は、世の中で起きるのではなく、神様から来るものです。ここには、悔い改めない罪を懲らしめる神様の御旨があります。時として、神様は、世の民を通して、私たちを懲らしめることがあります。それは、私たちが悔い改めるように助けようとする、聖なる愛からです。それで、懲らしめの前では、謙遜に自分を顧みて、悔い改めなければなりません。
 エホヤキムに続いて、その子エホヤキンが王になりました。当時、ユダが頼っていたエジプトがバビロンによって、自分の国から出て来ることができなくなりました。神様は、ユダが頼っていたエジプトを徹底的に低くされました。世の国々を高めたり、低めたりされる方も神様です。強大国に頼るなら、結局悲惨な結果を招きます。神様の民は、神様だけに頼らなければなりません。

祈り:私が神様の懲らしめを感じる時、それを偶然の出来事のように思わずに、謙遜に自分を顧みて、罪を悔い改めるように、助けてください。

一言:懲らしめは、悔い改めさせる愛



2013年 03月 02日 (土)

2列24:8-20
投げ捨てられる時

 エホヤキムが死んでから、その息子エホヤキンが王になりました。彼は父親のしたとおりに、主の目の前に悪を行ないました。その時、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムを包囲しました。エホヤキンはバビロンの王に降伏して、出て行きました。バビロンの王は、主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出しました。主の本堂の中のすべての金の用具を断ち切りました。エルサレムのすべての民と、高官と、勇士と、職人と、大祭司が捕らえ移され、貧しい民衆のほかは残されませんでした。王と、王の母、王の妻たち、全ての権力者たちがバビロンに連れて行かれました。人が悪を行なうのは、その生活にしばしの快楽があるからです。しかし、人が悪を行なう時、霊的な力を失い、無気力になります。結局、異邦の地に捕虜として連れて行かれる、みじめな身の上になります。
 バビロンの王は、エホヤキンの代わりに、ヨシヤの三番目の息子ゼデキヤを王として立てました。ゼデキヤは、没落して行くユダの指導者となって、その時代に向けられた神様の御旨に従わなければなりませんでした。しかし彼は主の前に悪を行ないました。バビロンに仕えるのが神様の御旨でしたが、かたくなにこれを拒み、バビロンの王に背きました。このようなユダに向けて、神様の取り返しのつかない御怒りが降り注がれました。神様は、その民を御前から投げ捨てるほど、お怒りになりました。神様の懲らしめを受け入れなければ、神様は、お選びになった民であっても、投げ捨てるほどお怒りになります。悔い改めなければ、神様は最後までお怒りになります。

祈り:主よ!私に、神様の怒りを恐れる心をくださり、謙遜に悔い改め、神様の訓練を受けるように、助けてください。

一言:投げ捨てるまで、お怒りになる神様


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