聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2013]

2013年 03月 03日 (日)

2列25:1-21
その国から捕らえ移された

 ゼデキヤの第九年に、バビロンの王ネブカデネザルは軍隊を率いて、エルサレムを攻めに来ました。バビロンに降伏するのが、神様の御旨であり、命の道でした。しかしゼデキヤは二年間、抗戦し、抵抗しました。結局、町の中は、ひどい飢饉に苦しめられました。カルデヤ軍が城壁に穴をあけて、入り込みました。ユダの軍隊は王から離れ、逃げました。ゼデキヤは捕らえられ、息子たちは、彼の目の前で殺される悲劇を招きました。カルデヤの兵士たちが王の両目をえぐり、鎖で縛って、バビロンに引いて行きました。ゼデキヤ王の姿は、神様の御旨に逆らい、自分の道に執着する人の運命を見せてくれます。神様に逆らい、悪の道に行く者は、結局両目をえぐられ、鎖につながれて行ったゼデキヤのように、罪の奴隷になってしまいます。
 バビロン王の侍従長ネブザルアダンがエルサレムを焦土にしました。主の宮と王宮を焼き、エルサレムのすべての家を焼きました。四方の城壁は取り壊されました。降伏した者はみな捕らえ移され、貧しい人々だけがその地に残り、ぶどう園と畑仕事をするようになりました。主の宮の青銅の柱と、青銅の車輪つきの台と、海など、全ての器材が全てバビロンに移されました。侍従長が町で捕らえたユダの民たちをバビロンに連れて行くと、バビロンの王が彼らを皆殺しにしました。神様は、このようにユダの民を捕らえ、その地から離れさせました。神様が、祭司の国としての望みの中で、その地に植えた民たちをみな引き抜かれました。

祈り:主よ!私が祝福をよく担うことができず、祝福の地から追い出される悲劇の者にならないように、助けてください。

一言:祝福を担えなければ、追い出される



2013年 03月 04日 (月)

2列25:22-30
牢獄から釈放し

 バビロンの王ネブカデネザルは、ユダの地に残った民たちの上に、ゲダルヤを総督として立てました。将校たちと、その部下たちはみな、その知らせを聞いて、ゲダルヤのもとに来ました。彼らは残酷な戦乱の中で、行き残った者たちでした。ゲダルヤは、彼らがその地で王に仕えるように、と指示を出しました。これは、神様がお与えになった懲らしめを謙遜に受け入れること、です。神様が罪に対して懲らしめるからといって、絶望してはいけません。神様がお与えになる懲らしめを受け入れることが、懲らしめの中で、平安を受ける秘訣です。しかし、彼らは神様の懲らしめを受け入れませんでした。何の役にも立たない民族主義の自尊心によって、ゲダルヤを打ち殺しました。そして恐れに捕らわれ、エジプトに逃げて行きました。神様の懲らしめの中で、さらに大きな悪を犯して、恐れの奴隷になり、破滅の道を歩みました。大きな罪を犯しても、落胆せずに、懲らしめを受け入れるなら、いのちの道を歩みます。
 エホヤキン王が捕え移されてから三十七年目に、バビロンの王エビル・メロダクが彼を牢獄から釈放しました。彼にやさしいことばをかけて慰め、王の位を高くしました。囚人の服を着替え、生涯、王の前で食事をしました。神様のさばきと懲らしめは絶望で終わりません。列王記はエホヤキンを牢獄から釈放するところで、終わっています。これは、神様がご自分の民を懲らしめた後、もう一度回復させてくださる、望みの神様であることを教えてくれます。神様の懲らしめは恐ろしいものです。しかし懲らしめが、決して終わりではありません。神様の訓練が終われば、再び回復し、高めてくださいます。

祈り:主よ!私が、神様の懲らしめが終わりではなく、回復の望みであることを知り、謙遜に訓練を受けるように、助けてください。

一言:懲らしめの中でも、望みを持とう


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