聖書別日ごとの糧   >>   エズラ記[2005]

2005年 02月 13日 (日)

エズラ記8:1-30
エズラ記8:1-20,24-30

 神様はご自分の御業を人を通して成しておられます。それで神様に仕える働き人を立てることは神様の御業において大変重要なことです。エズラを通して神様の働き人を立てる原則を学ぶことができます。
Ⅰ.レビ人を立てたエズラ(1-20)
 エズラとともにエルサレムに帰って来ようとした人々はみな1494人でした。しかし主の宮の仕事のために選ばれたレビ人たちは一人も見えませんでした(15,民3:5-11)。それでエズラはイドに人を送って、レビ人258人の志願者を連れて来ました(18-20)。
 エズラは彼の周りにも多くの人々がいましたが、必ず神様がお定めになった人々を立てようとしました。神様の御業は神様がお立てになった者を通して働きます。
Ⅱ.祭司を立てたエズラ(24-30)
 エズラは、また神様にいけにえをささげ、祭司の職分を担う祭司長を立てました。そして彼らに民たちが神様にささげたいけにえを正確に扱い、祭司とレビ人のつかさたち、イスラエルの民のつかさたちの前で、量るまでよく管理するように言いました。また彼らが、神様がお立てになった聖なるものであること、を知らせました(28)。神様に仕える働き人は自分が聖なるものであることを認識しなければなりません。また自分の責任をはっきりと知らなければなりません。

祈り:主よ!私たちの集まりが、神様が願われる働き人の要請に力を入れるように助けてください。また立てられた者がその職分と責任をはっきりと分かるように助けてください。

一言:神様が願われる働き人の養成



2005年 02月 14日 (月)

エズラ記8:21-36
エズラ記8:21-23,31-36

 神様の御業は人の力だけでは成し遂げることができません。神様の助けがなければなりません。神様はどのようにして神様の助けを得たのでしょうか。
Ⅰ.王に求めませんでした(22)
 エズラの一行がエルサレムに向かう途中には敵が待ち伏せしている大変危険な道でした。それでエズラはアダクサスダ王に助けを求めました。しかしすぐに彼はそれを恥ずかしく思いました。これは以前にアダクサスダ王に神様を教えながら、神様はご自分を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る。」と言っていたからです。
 彼は神様を信じて、教える者が人の助けを求めることは恥ずかしいことだと思いました。人々の助けを求める心を捨てれば、神様に頼ることができます。神様を堅く頼れば、神様の助けを得ることができるのです。
Ⅱ.断食して祈りました。
 アハワ川のほとりに着いた時、イスラエルは断食を宣布し、道中の無事を願い求めました(21)。エズラが断食を布告したのは、自ら低くなり、神様に頼るためでした。切なる心で祈るためでした。苦難の時ほど、自ら低くなって神様に出て行かなければなりません。神様は彼らの信仰と謙遜を受け入れ、助けてくださいました(23)。彼らを、敵の手、待ち伏せする者の手から救ってくださいました(31)。

祈り:主よ!私が苦難の時、時折人の力に頼ったり、人間的な方法を使おうとしたことを恥ずかしく思います。今からただ主の助けだけに頼ります。

一言:自ら低くなり


<<(1)    前のページ(5)    6    次のページ(7)    (8)>>

聖書別日ごとの糧