聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2009]

2009年 08月 04日 (火)

ヨブ記4:1-21
因果応報のエリファズ

Ⅰ.だれが罪がないのに滅びた者があるか(1-11)
 エリファズは、人の全ての不幸の原因を罪から探し、その罪から抜け出す方法もただ神様に進み出て悔い改めるしかないと強調します。彼はかつてのヨブの正しい行ないを認めていますが(3-5)、これは今ヨブに降り注いでいるわざわいが罪の結果であることを話すためでした。「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。」(7)人が受ける不幸の原因は罪にあるという主張は普遍的なものです。人間の罪と堕落によって、世にのろいと疾病と不幸が始まったのは事実です。しかし全ての不幸の原因がみな罪によるものではありません。神様の御前で正しく生きても、苦難を受ける場合が少なくありません。そしてそこには私たちが悟ることのできない神様の特別な御旨があるのです。神様を機械的にだけ理解する時、因果応報の論理に陥るようになり、人々を律法的に助け、さらに絶望させてしまうのです。
Ⅱ.人は神の前に正しくありえようか(12-21)
 エリファズは、ヨブが今の不幸から抜け出す方法は神様に進み出て悔い改めることだけだと言います。人がいくら正しいと言っても、神様より正しい筈がありません。この言葉は正しいです。しかし私たちの神様は正しい方でありながら、愛も満ちあふれる方です。神様に対する理解の幅が広くなる時、人の苦難を見る観点も違って来ます。

祈り:主よ!因果応報の考えで他人の苦痛をむやみに非難した罪を悔い改めます。広くて大きい神様を悟るように助けてください。

一言:全ての苦痛が罪から生じるのではない


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