2009年 08月 07日 (金)
ヨブは、神様に具体的に犯した罪がなくても苦しみを受けなければならないことが辛く思えました。彼はもどかしい心を抱いて神様に進み出て訴えました。 「私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。」(1)彼は「あなたは肉の目を持っておられるのですか。あるいは、人間が見るように、あなたも見られるのですか。」と尋ねます(4)彼は、なぜ主の御手で造られたものを虐待し、蔑視するのか、理解できませんでした。主の御手で粘土で形造ったように、自分を造られた主が、なぜちりに帰そうとするのか、嘆願します。彼は自分に向かって怒り、打たれる神様を理解できませんでした。彼は暗やみのように真暗な地、死の陰があり、秩序がなく、光も暗やみのようでした(22)。しかしこのような中でも、彼はこの全ての苦痛から抜け出してくださる方は神様だけであることを知り、告白し、主の助けを願っています(7)。 ヨブは理解しがたい苦痛の時に神様に出て行って息苦しさを訴えました。勿論彼の祈りには被害意識とうらみが混じっていました。それはまだ彼が神様の深い御旨を知らなかったからです。しかし彼が自分の内面の苦しみを神様に真実に打ち明けたことが大切なことです。苦しみの時に人に出て行って不信と不満をぶちまけてしまいがちです。すると問題が解決されるどころか、むしろ複雑になるのです。神様に出て行って心の中の苦しみを打ち明ければ、主の助けを受けるようになるのです。苦しみの意味も知るようになるのです。
祈り:主よ!私が理解できないことを受ける時、人に出て行ったことを悔い改めます。今から主に進み出て行くように助けてください。
一言:私が神様に語ろう
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