聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2009]

2009年 08月 09日 (日)

ヨブ記14:1-22
私を覚えてくださればよいのに

Ⅰ.影のような人生(1-12)
 女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいで、花のように咲き出しては切り取られ、影のように飛び去ってとどまりません。木にはむしろ望みがあります。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがないからです。その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出します。しかし人間は死ぬと、倒れたきりで、息絶えます。人は倒れると再び起き上がることができず、天がなくなるまで目ざめず、その眠りから起きることができません。このように人間は弱くはかない存在です。人間は、まるでこの地で永遠に生きるかのように考え、富と名誉と地位を得ようと努力しますが、実は死ぬしかない虚しい存在です。だからこそ神様の救いが絶対的に必要なのです。
Ⅱ.よみがえりの望みがある人生(13-22)
 ヨブは悲惨な死の前で、死の向こうにある望みを期待して、神様に祈りました。「ああ、あなたが私をよみに隠し、あなたの怒りが過ぎ去るまで私を潜ませ、私のために時を定め、私を覚えてくださればよいのに。」(13)ヨブは、神様がしばらくの間自分をよみに隠した後、神様の怒りが過ぎ去ると再び生かして永遠のいのちをくださることを、望みました。死ぬしかない人間、それで悲しみが多い人間に望みとなるのは、ただ神様ひとりだけです。

祈り:主よ!私の人生が影のようであることを受け入れます。しかし主がこのような私を覚え復活の望みをくださり感謝します。

一言:私を覚えてくださる神様


<<(1)    前のページ(8)    9    次のページ(10)    (23)>>

聖書別日ごとの糧