聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2009]

2009年 08月 10日 (月)

ヨブ記16:1-22
私の目は神に向かって

Ⅰ.あなたがたはみな(1-16)
 ヨブの友だちはヨブを煩わしました。彼らはヨブのために咎めましたが、実際は罪に定めただけなので、大きな傷を与えました。彼は肉体の苦痛よりも、友だちの非難が更に苦痛に思いました。ところが彼はこの全てのことが神様から来たことを知りました。彼は主が自分を苦しめ、衰えさせることを知っていました。「神は私を小僧っ子に渡し、悪者の手に投げ込まれる。」(11)彼はたとえ苦難の原因が何であるのかを知りませんでしたが、この全てのことが神様の主権の中で起きていることを知っていました。
Ⅱ.私の目は(17-22)
 ヨブは自分のきよさを友だちではなく、神様から認められようとしました。彼は今友だちに向けていた目を神様に向けました。「私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。」(20,21)「とりなしをする」とは「弁論すること」です。ヨブは、神様が自分の証人になられ、無罪を弁論してくださることを求めました。いくら親しい友だちであっても、私のことを理解してくれないので、非難するしかありません。しかし主だけは私の口惜しい気持ちを理解してくださり、弁論してくださいます。それで私たちは友だちがあざけっても、神様に向かって涙を流し、とりなしてくださるように祈らなければなりません。

祈り:主よ!私に友だちが何と言ってあざけっても、目を神様に向けて神様のとりなしを求める者になるように、助けてください。

一言:私の目は神様に向かって


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