聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2009]

2009年 08月 11日 (火)

ヨブ記19:1-29
私を贖う方

Ⅰ.私の息は私の妻にいやがられ(1-22)
 ヨブが苦痛の中で、更に絶望に陥ったのは、神様が友だちの無責任な非難の前で沈黙されたことです(7)。神様はいくら呼んでも答えられず、むしろ自分の過去の栄光だけを奪って行かれました。その結果ヨブは周りの人々から徹底的に疎外されました。彼を知っている全ての人は他国人となり、彼の親戚は彼を捨て、その兄弟たちも彼から遠ざかりました。親しい友だちは彼を忘れ、彼の家に寄宿している者も、彼のはしためたちも、彼を他国人と見なしました。甚だしくは、彼の妻までも、彼の息を嫌がりました。子どもたちも彼をさげしみ、忌み嫌いました。彼が愛する者たちはみな彼の敵になりました。ヨブは全ての人から除け者にされました。彼は寂しく、悲しく、絶望していました。
Ⅱ.私を贖う方は生きておられ(23-29)
 では、ヨブがどのようにして孤独と絶望と苦難に耐え忍ぶことができたのでしょうか。それは彼が自分の口惜しさを抱いてくださり、自分を贖ってくださる贖い主を仰ぎ見たからです。全ての人々から徹底的に苦しめられた時、ヨブは自分を贖う方、生きておられる神様を仰ぎ見ました。両親も、妻も、友だちも、自分の本心と苦痛を理解してくれない時、私たちが仰ぎ見るべき方は、ただ私たちを贖う方、生きておられる神様です。生きておられる神様を仰ぎ見る者だけが絶望を克服することができるのです。

祈り:主よ!私を知っている全ての人が私を捨てても、私のそばには生きておられる贖う方がおらえることを信じ、絶望に打ち勝つように助けてください。

一言:生きておられる私を贖う方


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