聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2012]

2012年 03月 22日 (木)

ヨブ4:1-21
因果応報のエリファズ

Ⅰ.だれか罪がないのに滅びたのか(1-11)
 エリファズは、人の全ての不幸の原因を罪から捜し、その不幸から抜け出す道も、ただ神様のところに行って罪を悔い改めることだけを、強調しています。彼は、以前に行なったヨブの善行に対しては認めていますが(3-5)、これは今ヨブが受けている災いが罪の結果であることを、話すためでした。「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。」(7)。人が受ける不幸の原因が罪にあるという主張は普遍的なものです。人の罪と堕落によって、この世で呪いと疾病と不幸が始まったのは事実です。しかし全ての不幸の原因は全てが罪から来るのではありません。神様の御前に正しく生きていても、時には苦しみを受ける場合もあります。そして、そこには私たちが悟ることのできない、神様の特別な御旨があります。神様を頭でだけ理解しようとする時、因果応報の論理に陥るようになり、人々を律法的に助けて、むしろ絶望させてしまいます。
Ⅱ.人は神の前に正しくありえようか(12-21)
 エリファズは、ヨブが今の不幸から抜け出す唯一の道は、神様に進み出て悔い改めるしかない、と言いました。人がいくら正しいからと言っても、神様の前に正しくありえないです。それは事実です。しかし私たちの神様は義なる神様でありながら、同時に愛に満ち溢れた方です。神様に対する理解の幅が広くなる時、人の苦難を見る観点も違って来ます。

祈り:主よ!因果応報によって、人の苦しみを判断して来た罪を悔い改めます。広くて大いなる神様を悟るように、助けてください。

一言:全ての苦しみがみな罪から来るのではない


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