聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2012]

2012年 03月 28日 (水)

ヨブ16:1-22
私の目は神様に向かって

Ⅰ.あなたがたはみな(1-16)
 ヨブの友だちは、ヨブを苦しめる煩わしい慰め手でした。彼らはヨブのために行なうふりをしましたが、実際には罪に咎めてばかりいたので、大きな傷だけ与えました。ヨブは肉体の苦痛よりも、友だちの言葉にひどく傷つきました。ところが彼は、この全てのものが神様から来たことを、知りました。彼は、主が自分を苦しめ、悩ませることを知りました。「神は私を小僧っ子に渡し、悪者の手に投げ込まれる。」(11)。たとえ彼は、苦しみの原因が何であるのか、詳しく知らなくても、この全てのことが、神様の主権の中で行なわれていること、を知っていました。
Ⅱ.私の目は(17-22)
 ヨブは自分が潔白であることを、友だちからではなく、神様から認められようとします。彼は今、友だちに向けていた目を、神様に向けました。「私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。」(20,21)。「とりなしをする」とは「弁護する」という意味です。神様が自分の証人となり、無罪であることを示してくださることを求めています。いくら親しい友だちであっても、自分を理解できず、罪に定めるしかありません。しかし主だけは、私の悔しさを知っておられ、弁護してくださいます。それで私たちは、友だちにあざけられても、神様に向かって涙を流し、とりなしをしてくださるように、祈らなければなりません。

祈り:主よ!私が、友だちが何といっても、目を神様に向け、神様のとりなしを慕い求める者になるように、助けてください。

一言:私の目は神様に向け


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