聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2015]

2015年 02月 04日 (水)

ヨブ記4:1-21
因果応報のエリファズ

Ⅰ.だれか罪がないのに滅びたのか(1-11)
 エリファズは、人の全ての不幸の原因を罪から捜し、その不幸から抜け出す道も、ただ、神様のところに行って罪を悔い改めることだけを、強調しています。彼は、以前に行なったヨブの善行については認めていますが(3-5)、これは、今ヨブが受けている災いが罪の結果であることを話すためでした。「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。」(7)。人が受ける不幸の原因が罪である、という主張は普遍的なものです。しかし、全ての不幸の原因は、全てが罪から来るのではありません。神様の御前に正しく生きていても、時には苦しみを受ける場合があります。そして、そこには、私たちが悟ることのできない、神様の特別な御旨があります。神様を、頭でだけ、理解しようとすると、因果応報の論理に陥るようになり、人々を律法で助けようとして、むしろ絶望させてしまいます。
Ⅱ.人は神の前に正しくありえようか(12-21)
 エリファズは、ヨブが今の不幸から抜け出す唯一の道は、神様に進み出て、悔い改めるしかないと言いました。人がいくら正しいからと言っても、神様の御前に正しいことは、ありえないからです。それは事実です。しかし、私たちの神様は義なる神様でありながら、同時に愛に満ち溢れた方です。神様に対する理解の幅が広くなる時、人の苦難を見る観点も違ってきます。

祈り:主よ!因果応報によって、人の苦しみを判断して来た罪を悔い改めます。広くて大きな神様を悟るように助けてください。

一言:全ての苦しみが、みな罪から来るのではない。


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