聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2015]

2015年 02月 14日 (土)

ヨブ記14:1-22
私を覚えてください

Ⅰ.影のような人生(1-12)
 女から生まれた人間は、生きる日が短く、心がかき乱されることでいっぱいで、花のように咲き出ては切り取られ、影のように飛び去ってとどまりません。木には望みがありますが、それは、たとえ切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがないからです。その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出します。しかし、人間は死ぬと消滅し、息絶えます。人は伏すと、起き上がることができず、天がなくなるまで目が覚めず、眠りから覚めることができません。このように人は弱く、無意味な存在です。人は、まるで、この地で永遠に生きるかのように思い、富と名誉と権力を得ようと闘争しますが、実際は、死ぬしかない、虚しい存在です。だからこそ、神様の救いが絶対に必要です。
Ⅱ.復活の望みがある人生(13-22)
 ヨブは、冷たい死を前にして、死の向こう側にある望みを期待して、神様に祈りました。「ああ、あなたが私をよみに隠し、あなたの怒りが過ぎ去るまで私を潜ませ、私のために時を定め、私を覚えてくださればよいのに。」(13)。ヨブは、神様がある程度、自分をよみに隠し、主の怒りの日が過ぎ去った時に、もう一度生かし、永遠のいのちをくださることを望みました。死ぬしかない人々、また、それで悲しみの多い人々にとって、望みとなる方は、神様しかいません。

祈り:主よ!私の人生が影のようであることを受け入れます。しかし、主がこのような私を覚え、復活の望みをくださって、感謝します。

一言:私を覚えていてくださる主


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