聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2015]

2015年 02月 19日 (木)

ヨブ記19:1-29
私を贖う方

Ⅰ.私の息は私の妻にいやがられ(1-22)
 ヨブが苦しみの中で、さらに絶望に陥ったのは、友だちの無責任な非難の中でも、神様が沈黙されたからです(7)。神様は、いくら呼んでも、答えては下さらず、むしろ自分の過去の栄光だけを奪って行かれました。その結果、ヨブは周りの人々から徹底的に疎外されて行きました。彼の知人は彼から離れて行き、彼の親戚は彼を捨て、彼の兄弟は彼から遠ざかって行きました。親しい友だちは彼を忘れ、彼の家に寄宿している者も、彼のはしためたちも、彼を他国人のようにみなしました。さらに追い打ちをかけたのは、彼の妻さえも、彼の息を嫌いました。子どもたちも彼をさげすみ、逆らいました。彼が愛する者はみな、彼の敵になりました。ヨブは全ての人々から仲間はずれにされました。彼はさびしく、悲しく、絶望の淵にいました。
Ⅱ.私を贖う方は生きておられ(23-29)
 では、どのようにしてヨブは、このような寂しさ、絶望、苦しみを耐え忍ぶことができたのでしょうか。それは、彼が、自分の悔しさを取り除き、自分を救ってくださる贖い主を仰ぎ見たからです。全ての人々から徹底的に疎外された時、ヨブは自分を贖う方、生きておられる神様を仰ぎ見ました。両親も、妻も、友だちも、自分の家族も、自分のことを理解してくれない時、私たちが仰ぎ見るべき方は、私たちを贖う方、生きておられる神様だけです。生きておられる神様を仰ぎ見る者だけが、絶望を克服できます。

祈り:主よ!私を知っている全ての人々が私を捨てることがあっても、私のそばで、贖う方が生きておられることを信じて、絶望に打ち勝つことができるように、助けてください。

一言:私を贖う方は生きておられる


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