2015年 02月 20日 (金)
いらだつツォファル
ヨブの言葉を聞いて、ナアマ人ツォファルはいらだちました。その思いが彼に答えを促したので、彼は心あせりました。また、侮辱となる訓戒を聞いて、彼の悟りの霊が彼に答えさせました。「悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ」(5)と。たとえ、人が心高ぶり天まで上り、その頭が雲まで及んでも、その人は自分の糞のようにとこしえに滅びます。その人を見たことのある者たちは、「彼はどこにいるのか」と言います。神様に逆らって生きる者の喜びは短く、はかないものです。しばらくの間、楽しんでも、すぐにそれは消えてなくなります。だれも彼を見つけることはできません。それで、彼の子どもたちは貧民たちに憐れみを請い、彼の手は自分の財産を取り戻さなければならなくなるのです。時には、罪が甘く感じられる時があります。しかし、それは食べた者の腹の中で変わり、コブラの毒となります(12,14)。貪る者の腹は足ることを知りません。欲しい物があれば、何としてもそれを手に入れようとします。それでも、その人の繁栄は続きません。いくら物で満ち足りていても、むしろ心は満たされずに苦しみ続けます。貪欲によって、腹を満たそうとすると、神様はその燃える怒りを彼の上に送り、憤りを彼の上に降らします。彼は鉄の武器を免れても、青銅の弓が彼を射通します。「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコ1:15)。
ツォファルは、ヨブが破滅の道を歩むのは、ヨブが神様から離れて罪を犯し、自分の欲のために貧しい者をしいたげて、私利私欲を満たしたからである、と主張しています。そして、それを認めようとしないヨブに対して、いらだちを感じていました。彼もまた、断片的にしか物事が見えず、偏った見方しかできなかったようです。
祈り:主よ!私が目の前の状況を断片的に見るのではなく、神様の観点から物事を見分ける霊的な分別力をください。
一言:神様の視点で
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