聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2015]

2015年 04月 09日 (木)

ヨブ25:1-26:14
神様の大いなる御業

Ⅰ.人はどうして神の前に正しくありえようか(25章)
 ビルダデは、神様の法廷に立つことを願うヨブの話を聞いて、神様がどれだけ大いなる方であるのか、を証ししました(1-3)。そして、「人はどうして神の前に正しくありえようか。」と言いました。うじである人間、虫けらの人の子とさえ、言っています(6)。彼の言葉は、ある程度は一理あると思いますが、神様の愛を知らない律法的な言葉です。人は罪人ですが、神様は、ひとり子を賜るほどに愛される存在です(ヨハ3:16)。それで、私たちは人の存在そのものを尊く思う心を持たなければなりません。
Ⅱ.だれが、その力ある雷を聞き分けえようか(26章)
 試練を受けているヨブに必要なものは、暖かい慰めと逆境を耐え忍ぶことのできる力と、その試練に隠された神様の御旨を知る知恵です。ところが、ビルダデはこのような助けを与えることができず、ヨブを苦しめてばかりいました。人をよく助ける牧者になるためには、人間愛がなければならず、神様について、よく知っていなければなりません。ビルダデは神様をよく知っていると思い込んでいて、ヨブに忠告しましたが、人が神様を正しく知ることは、あまりにも難しいことです。神様は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられ(7)、海をかき立てるラハブ(海の怪物)と逃げる蛇(空中の悪の勢力)を刺し通される全能なる方です。しかし、このような行ないは、神様の道の外側に過ぎません。人がこの神様を知っているなどと、軽々しく言ってはなりません。

祈り:主よ!私が大いなる主について、軽々しく話すことはできません。ただ、謙遜に学ぶように助けてください。

一言:神様について、軽々しく話してはならない


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