聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2005]

2005年 03月 31日 (木)

詩篇32:1-11
幸いなことよ。そのそむきを赦された人は。

Ⅰ.私のそむきの罪を主に告白しよう(1-5)
 そのそむきを赦され、主が、咎をお認めにならない人は、幸いです(1,2)。なぜでしょうか。ダニエルは罪を黙っていたときには、一日中、うめいて、骨々は疲れ果て、骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。罪を犯せば、たましいの上に重くのしかかる苦痛があるのです。この世のどんなものでも、この苦痛をなくすことはできないのです。
 私たちがこの苦痛から抜け出すことを願うならば、神様に進み出て私の罪を隠さず、告白しなければなりません。神様は私たちの中心をご覧になるので、誰も神様に自分の罪を隠すことができません。罪を隠せば隠すほど、神様の御怒りがそのたましいに重くのしかかるようになるのです。しかし神様に進み出て真実に罪を告白するなら、神様は恵み深い方なので、すべての罪をすぐに赦してくださり、たましいの平和を贈り物としてくださるのです。
Ⅱ.主にお会いできる間に(6-11)
 ダビデは罪の赦しの恵みを受けた後、自分だけではなく、他の人もこの祝福を受けることを願いました。それで主にお会いできる間に、主に祈りますと言いました(6)。「主にお会いできる間」は罪を悟った時を指します。罪に悟った時、一人で苦しんだり、忘れてしまおうとすれば、主にお会いして赦しを受ける機会を失うようになり、生活に喜びがなくなってしまうのです。しかしその時に神様に進み出て、悔い改めの祈りをする者は神様の恵みを味わうようになるのです(10)。

祈り:主よ!罪を告白しないことが苦しみです。私が主に自分の罪を告白しますので、私を赦してください。

一言:そむきを赦される者は幸いです


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