聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2015]

2015年 08月 01日 (土)

詩篇1:1-6
幸いなことよ

 どんな人が、幸せそうに見えますか。良い家、安定した職場、金銭と時間に余裕がある生活が、そのように見えないでしょうか。世の中には、「悪者のはかりごと」が通用し、罪人の道に従って生きる時に、早く、簡単に成功することが多くあります。汗水流して、正直に生きる人もいますが、不正な方法で、富を貯蓄する人々もいます。世の中には、どれだけ多くの人々が、どれだけ長い歳月の中で、よく整備された罪人の道があります。神様と、神様の法を認めない傲慢な人々がいます。世の中を見ると、彼らが多数であり、時代の主流を形成しています。悪者たちの成功と血統を見ると、彼らが幸いだとも、考えられます。彼らの道を歩みたい誘惑にかられることもあります。
 しかし、本当に幸いな人は誰でしょうか。主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人です。「口ずさむ」とは、律法を口ずさんで、心に刻みつけることです。幸いな人は、主の教えを喜びとします。律法を口ずさみながら、真理を悟ることを喜びとし、生活が明るい時も、暗い時も、成功する時も、失敗する時も、昼も夜も口ずさみます。悪者のはかりごとに歩まず、律法に従って判断し、おしえに従って生きます。このように生きる人の人生は、水路のそばに植わった木のようです。水路に植わった木は、いつも豊かな水が供給されるので、いくらききんがひどくても、問題にはなりません。むしろ強い日差しとききんの中で成長し、かぐわしく、おいしい実を豊かに結びます。主のおしえを喜びとし、昼も夜も口ずさむ人は、御言葉を通して、渇かない信仰、望み、平和、節制、力などが与えられます。殺伐とした世の中に打ち勝ち、あらゆる面で成功します。苦難の中で更に成功し、豊かで、美しい実を結びます。しかし悪者はそうではありません。すぐに成功し、栄えますが、結局は風に吹かれるもみがらのようです。神様のさばきに耐えることができません。詩篇1篇は、詩篇全体を開く門のようです。詩篇に登場する詩人の人生と告白、悪者の人生を見ると、幸いな人は、主のおしえをよろこびとし、昼も夜も口ずさむ、その人です。
適用:だれが、幸いなのか
一言:主のおしえを喜びとする人


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