聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2015]

2015年 10月 04日 (日)

詩篇22:1-31
あなたは私の神です

 詩人の現状は悲惨でした。人々から、みにくい虫けらのような扱いを受けました。非傍と中傷を受けました。四方から、力ある者が取り囲み、威嚇し、飲み込もうとしていました。詩人を攻撃する人々は犬のように卑劣で(16)、きたない手をも、ためらわない人々でした。からだは引き裂かれ、死のちりの上に置かれました。担うことのできない苦難を受けましたが、助ける者がいませんでした。詩人は、一人苦しみあえいでいました。まして、夜も昼も神様に叫び求めましたが、神様は答えませんでした。彼は、自分が神様から捨てられた、と思いました。神様が彼を遠ざけ、助けない、と思いました。敵は、彼の姿を見て、主にすがる彼をそしり、さげすみました(7,8)。苦しい現状も辛く、痛い体も苦痛ですが、神様に捨てられた苦痛と恐れ、絶望は、さらに苦痛なものでした。詩人のように、耐えられない現状の中にいますか。神様が私を捨て、私を遠ざけたと考えていますか。多くの義人たちが、詩人のように、死の苦しみと、そしり、さげすみを受け、耐え忍び、打ち勝ったことを覚えましょう。イエス様も、私を救うために、そしりとさげすみを受けました。
 詩人は、苦しみの中で、イスラエルの賛美の中におられる主を考えました。賛美の中におられた主は、イスラエルが叫び求めた時に救い出され、主に信頼した者が、恥を見ないようにしてくださった方を覚えました(3-5)。詩人が母の胎にいて、生まれる前から、「私の神様」になってくださった方を覚えました。落胆していた詩人は、神様を仰ぎ見ながら、祈りました。「遠く離れないでください。」「私の力よ、急いで私を助けてください。」詩人のように、「私の神様」、すなわち、私を知り、真実に私の側である神様を仰ぎ見て、祈りましょう。詩人に、信仰と確信が生じました。現実は変わりませんでしたが、詩人の心と目が変わりました。人々は、私が苦難の時、さげしみます。しかし、主は、苦しむ者をさげしんだり、嫌ったりはされません。その御顔を隠さず、叫び求める時に、聞いてくださいます。詩人は、国々の民が主に立ち返り、礼拝する幻を見ました。私の神様を仰ぎ見ながら、詩人の心は、喜びと望みと幻で満ちていました。

祈り:主はどんな方か。

一言:私の神様


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