聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2015]

2015年 10月 10日 (土)

詩篇28:1-9
主は私の力、私の盾

 神様が私の祈りを聞かれないようであり、私の苦しみに沈黙されているような時があります(1a)。また、私が、悪者のように思われる時があります(3)。そのような時、死の穴に落ちるようで、恐ろしく、暗くなります(1b)。心の中で、神様の愛に対する疑いが生じます。私を助けてくださらない神様を疑います。しかし、詩人はどうしたのでしょうか。詩人は、死の威嚇と恐れの中でも、神様がおられる至聖所に向かって、手を上げて、主に叫んで祈りました。彼は、神様が、悪者たちを、その行ないによって報い、退けられることを信じました。また、彼は神様を賛美しました。「ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。」(6)。彼は、神様が「私の力、私の盾」と告白しました(7a)。「神様が私の盾」であるのは、逆説的でも、自分の無力に絶望し、何もできない時に、知るようになりました。「神様は、私の盾」であるのは、まる裸で、敵の無慈悲の攻撃を受けた時、悟るようになりました。詩人は言いました。「私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。」(7b)。感謝できない状況、疑いやすい状況は、むしろ神様に出会えるチャンスとなります。神様が共にいてくださることが、一番はっきりと分かるのは、一人取り残されたような状況の中です。人々は、苦しみがなく、平安で、全てのことがうまく行く状況を求めます。しかし、その時は、神様を発見できず、神様に頼んだりもしません。私の力、私の盾である神様を新しく感じ、出会うのは、墓に下って行くような状況、捨てられたような時です。そうすると、祝福された生活は、外的に平安で、安楽な生活ではなく、むしろ、神様を新しく出会える苦難の生活です。外的な状況は苦しいのですが、神様が、私の力、盾なので、詩人の口からは賛美が流れ出ます。「それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」
 願う物を得て、物事がうまく行くなら、神様が助けてくださったと思っているのではないでしょうか。日々、悲しみと苦しみ、迫害と苦痛の中でも、私の力であり、盾である神様が、私の手をしっかりとつかんでおられることを、信じますか。詩人の最後の告白は、次の通りです。「どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。」

適用:苦しみの中で、誰に頼るのか。

一言:その方に頼り、助けを得た


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